2017年2月16日、 EXILEのAKIRAが、アジア人初となるラルフ・ローレンのアンバサダー、公式イメージモデルに選ばれる。ラルフのヴィンテージの服を着ているAKIRAの自費出版の写真集がラルフ・ローレン会長の目に留まって指名された。[3]
2017年4月4日、アメリカのポロ・ラルフ・ローレン・コーポレーションは前年に続き、人員削減やオフィスの見直しなどを進めて年間1億4千万ドル(約155億円)の経費削減を見込んで、インターネット販売の方を強化するため、ニューヨーク・マンハッタンの中心地「5番街」にあるフラッグシップ路面店を同月15日に閉鎖すると発表。米国を代表する名門ブランドの5番街からの撤退は、米国内で大きく報じられて話題を呼んだ。5番街には、低価格なファストファッションブランドの路面店が次々に現れたことが原因で、価格の高いラルフ・ローレンは業績不振が続いていた。
2017年7月17日付で、社長 兼 CEOに、元「P&G」でブランド事業に25年間携わった経験を持つパトリス・ルーヴェ(Patrice Louvet)が就任。[4]
2017年7月23日、原宿キャットストリートの「DENIM & SUPPLY」のフラッグシップストアが閉店。そして跡地に、「POLO RALPH LAUREN CAT STREET」が同年9月8日にオープン。さらに9月12日には代官山、9月15日には神戸と心斎橋にもPOLO RALPH LAURENの路面店をオープン。
2018年9月7日、ブランド創立50周年記念のショーを、マンハッタンのセントラル・パークにあるベセスダ・テラスにて開催。ヒラリー・クリントン、スティーヴン・スピルバーグ、ロバート・デ・ニーロ、アン・ハサウェイ、シェリル・クロウ、カニエ・ウエストなど、多数の著名人もゲストに迎えた。また、当日行われたファッションショーでは、EXILEのAKIRAもモデルとしてランウェイに参加した。[5][6]
2018年11月22日、ラルフ ローレン表参道がリニューアルオープン。キッズやベビーの商品を扱うコーナー「ポロ ラルフ ローレン チルドレン」、カスタマイズコーナーの「CYO(Create Your Own)」が新たに加わった他、それまでは店の外で移動車で営業していたカフェ「Ralph's Coffee」が、店内に常設された。
2018年11月、ラルフ・ローレン会長がイギリスの名誉大英帝国勲章「KBE」を受勲することが決定。2019年に行われる叙勲式で、エリザベス女王の代理人から紀章が贈られる。[7]
2018年12月、GENERATIONS from EXILE TRIBEの白濱亜嵐と片寄涼太が、ブルーレーベルのLIMITED EDITION「WINTER STADIUM COLLECTION」の広告モデルを務める。[8]
2019年1月25日、最先端テクノロジーの機能「RL HEAT」が登場。専用のRL HEATアプリでコントロール出来るヒーティングシステムで、ダウンジャケットに搭載。
ブルックリンでDOUBLE RLと店舗が隣り同士という縁から深い親交のあったヘアサロン「LUDLOW BLUNT」とコラボレーションし、2019年3月15日、有楽町・阪急メンズ館7Fにて、DOUBLE RLとLUDLOW BLUNTを併設した店舗「DOUBLE RL WITH LUDLOW BLUNT」がオープンした。[9][10]
2019年6月10日、京都市中京区河原町通に、CYOカスタムショップも備えた「ポロ ラルフ ローレン 京都BAL」がオープンし、同年7月上旬には「ラルフズ コーヒー」の国内2店舗目も併設でオープンする予定。[11]
ローレンのファッション業界への貢献が認められ、2019年6月、バッキンガム宮殿で行われた非公開の叙勲式において、「名誉最優秀大英帝国勲章 KBE(ナイト・コマンダー)」の名誉ナイト勲章が授与された。アメリカ人のファッションデザイナーが名誉ナイトの称号を授与されるのは初となる[12]。 1968年、リッキー・ロービア
人物
ローレン自身は、デザイン画を描くことが苦手だと明かしており、自分はデザイナーではなく自分の持つコンセプトをデザイナーへ提案する人、コンセプターであると称している。ラルフ・ローレン所有のブガッティ・タイプ57SCアトランティーク
自動車コレクターとして知られ、その膨大かつ希少なコレクションは総額6億ドル以上になると推定されている[13]。なかでもペブルビーチとヴィラ・デステの2大コンクール・デレガンスで優勝を果たした1938年製のブガッティ・タイプ57SCアトランティークは、ローレン自身がおそらく世界で最も美しい車であろうと述べるほど愛好している一台であり、この車からインスパイアを受けた腕時計「オートモーティブ・コレクション」もブランドで展開されている[14]。
アンティークウォッチのコレクターとしても知られており、初期のオフィチーネ・パネライと50年代のカルティエを好んで収集している[15]。 1991年、ラルフ・ローレンは若きデザイナー、マイケル・タピア(Michael Tapia)を採用。翌1992年春には、1920年代?1930年代のアメリカのスポーツ選手が着用したユニフォームからインスピレーションを得て、夏のバルセロナオリンピックのアメリカ代表チームの公式ユニフォームとしてデザインしたコレクション「STADIUM 1992」を発表。マイケルが次々に手掛ける斬新でスポーティーでカラフルなデザイン(以下の歴代のロゴの★マークを参照)は、それまでのラルフ・ローレンのデザインとは一線を画すものであり、一気にラルフ人気が高まることとなった。 マイケルによるPOPなデザインは他のブランドにも影響を及ぼし、トミー・ヒルフィガー、ノーティカなどが踏襲。中でもトミー・ヒルフィガーは最も影響を受け、マイケルと同じカラーリングを多数模倣した。ジェリー・コスビーも、カーゴパンツのサイドポケットのフラップ部分に、マイケル・タピア考案の「アメリカ国旗入りPOLO SPORTロゴ」のデザインをそのまま引用している。 1990年代以前のアイテムは「VINTAGE POLO」(通称:ヴィンポロ)と呼ばれ、プレミア化している。
ブランドライン
メンズ & レディース (現行)
POLO RALPH LAUREN (ポロ ラルフ ローレン)
通称:Blue Label (ブルー レーベル)。ポニーのロゴマークで知られる、最も普及されて主軸となっている定番ライン。キッズも展開。
当初は「Polo by Ralph Lauren」の表記でメンズ&キッズのラインだったが、ブルーレーベルのレディースラインだった「RALPH LAUREN」と共に、2015年に「POLO RALPH LAUREN」として集約された。
現在の布タグは、薄いブルー地に黄色の大文字で「POLO RALPH LAUREN」と表記されているが、2015年以前の布タグは、紺色地にシルバーまたは白文字で「Polo by Ralph Lauren」と表記されていた。
「Polo by」の部分が表記されていないタグも存在したが、その場合は「Ralph」と「Lauren」の文字の間にポニーロゴがあった。この他、「by」だけが無く、「Polo (ポニーロゴ) Ralph Lauren」という文字順のタグも存在した。
ブルーレーベルシリーズでも、ボーイズサイズのものの中には布タグの色が紺色ではなく緑色のものがあった。
同じくブルーレーベルの中でも、デニムやダンガリー素材を使ったアイテムには、生地の青色に対してラベルを際立たせる為に、青色ではなく白い大きめのラベルが使用されたものも存在する。さらにダンガリーシャツの中には、ラベルではなく赤色の刺繍で、内側に「Ralph(ポニーロゴ)Lauren」と縫われたものも存在する。
POLO CHINO (ポロ チノ)POLO RALPH LAURENラインの一部で、チノ・クロス素材のアイテムに使われる名称。
POLO CORDS (ポロ コーズ)POLO RALPH LAURENラインの一部で、コーデュロイ素材のアイテムに使われる名称。
PERFORMANCE (パフォーマンス)POLO RALPH LAURENラインの一部で、ポリエステル素材を混合させた生地で作られたシリーズ。1年間だけ復活していた時期のPOLO SPORTラインでも展開していた。
LIMITED EDITION (リミテッド エディション)POLO RALPH LAURENラインで散発的にリリースされる期間限定もののコレクション。全く新しいデザインのものから、昔のデザインをオマージュした復刻もの、そしてコラボレーション企画のものまで、様々なコレクションが存在する。 復刻コレクションは、パトリス・ルーヴェがラルフ・ローレンの新プレジデント 兼 CEOに就任したのを機に、2017年の夏から立て続けにリリースされているが、いずれもシルエットが現代風に細めに変更されていたり、デザインもオリジナルとは微妙に違っていたりするため、オリジナルを完全に復元したものではない。 また、復刻コレクションの場合の布タグは、2015年以降であっても敢えて紺色地にシルバーまたは白文字の旧タグが使用されることもある。
LIMITED EDITION以外でも、他ブランドとのコラボレーション企画が、POLO RALPH LAURENラインにて時々行われている。
CLUB MONACO (クラブ モナコ)1985年に登場。
RRL (ダブル アール エル)通称:ダブルアール。POLO COUNTRYの後継ラインとして1993年に登場。ヴィンテージ感を追求したライン。誕生のきっかけは、ヴィンテージマニアとしても有名なラルフ・ローレンが、ヨーロッパでリーバイスのヴィンテージものを買おうとしたが、既に日本人バイヤーによって買い占められていた。これを残念に思ったラルフ・ローレンは、「それならば自分自身でヴィンテージスタイルを作ろう」と決意し、RRLラインをスタートさせた。 RRLのネーミングは、コロラド州に所有する「RRL牧場」(ラルフ・ローレンと、妻・リッキーの頭文字を取って名付けられた牧場)をそのまま使用した。 日本へも1994年に上陸し、多くのファンを獲得して大流行となる。しかしラルフ・ローレンが描いていたコンセプトとは大きくかけ離れ、服の作りが大きかったことと、価格帯も低かったために、アメリカでも日本でもオーバーサイズのストリートファッションとして着られるようになっていた。