ラリー・モンテカルロ
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同授業は東京大学の掲げる国際化教育とタフな東大生[6]を育成する場として、計画・運営・資金調達・規則翻訳・レストア・整備・改造まで全てを学生が担当した。日本での活動に加え、現地に於ける競技車の整備・修復・サポートまで一貫して学生が行うという今までに類をみない画期的な授業として日本のみならず世界各国でも注目を集めた。学生チームはトヨタ・スプリンタートレノ (TE27) を競技車両としてレストア・改造・整備を行った。草加浩平と現オリジナルボックス代表である国政久郎のタルガ・タスマニアにおけるクラス&カテゴリー優勝経験のあるコンビがグラスゴーより出走した。競技車両のTE27に大きなトラブルはなく、現地でサービスを行った学生たちもワークスさながらのサービスワークをこなし無事完走を果たした。学生チームは、日本人として史上最高位を獲得し、大会参加者からも賞賛を受ける結果となった。

世界最高知名度の伝統的ラリーに教育の一環として学生チームが出場するということは現地ヨーロッパでも注目を集め、東京大学ホンダテクニカルカレッジ関東チームはテレビニュースや新聞、雑誌などに多数取材を受け、世界各国で放映・掲載された。この学生プロジェクトは2012年に松波登・森川修組TA22セリカ、山口義則・木村哲也組TE27トレノで参戦し2台完走を果たした後、2013年から17年は対象を他のイベントに変更したものの、2018年以降東京大学とホンダテクニカルカレッジ関東の共同プロジェクトとして再びRallye Monte-Carlo Historiqueに参戦している。

上記の様に、ホンダ・シビック 1200RS(EB1)、トヨタ・カローラ・レビンスプリンター・トレノ(TE27)、トヨタ・セリカ(TA22)、日産フェアレディ240Z 等のモータリゼーション期に投入された車で当時の参戦メンバーの手により2000年代中頃から参戦するエントラント[7]も多数見受けられる。
参考文献

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「ラリー&クラシックス Vol.4 ラリーモンテカルロ 100年の記憶」、イデア、2011年、ISBN 9784779612060

脚注[脚注の使い方]^ これは業界内では珍しいことではなく、ダカール・ラリーやル・マン24時間レースも世界戦のカレンダーから除外されていた時期は長くあった。
^ 「コンセントレーション(集結)」を意味するフランス語。
^ 1996年1997年にも行われたが、この年はWRCのタイトルが掛けられていない
^ 1906年には初の国際グランプリとなるACFグランプリがフランスで開催された。
^ 上位はアミルカー1100、セルティック・ビニャーニ。他にもドイツ製シュタイア等がエントリーしていた。
^ BMC・ADO16に代表されるバッジエンジニアリング車であるライレー・エルフ及びケストレル、ウーズレー・ホーネットバンデン・プラ・プリンセス、MG・1100など、年々ミニ母体のエンジン仕様の違いによってもエントリー分散化していく。
^ それ以前にもACMが「アンチ・ミニ」の態度を示しているようにも見えた事からこの様な事態へと繋がった。この繰上りで優勝となったのはヘンリの父であるパウリ・トイヴォネン。
^ 1980年代初頭までにワルター・ロールによるフィアット・アバルト131オペル・アスコナ400などFR車がランキングトップに台頭してくるとそのジンクスも薄れていった。
^ 1968年、アテネ-モナコでのコンサントラシオン中、コ・ドライバーであるルチアーノ・ロンバルディの運転するフルヴィアは一般車と衝突、ロンバルディは死亡。助手席で仮眠を取っていたムナーリは重傷を負う事故となり、翌日ベッドの上でこの悲運を知る事になる。以後、ムナーリ自身このラリーに特別な並々ならぬ感情を抱き、成長していくことになる。
^ ランチア・ストラトスでは4連ライトポッド、フィアット・124・アバルトスパイダーダットサン・280Zなどではボンネット埋め込み形状のものが試されている。
^ 無線機をラリーやレースに持ち込み始めたのはランチアを率いるチェーザレ・フィオリオで、ストラトスを実戦投入すると変わりゆく山岳の天候や現地側トラブルにいち早く対応できており、後の1985年ラリー037時代でのSS中のサービスが禁止されていなかった当時、コースコンディションが変わる直前のSS中路肩でのタイヤ交換等でも無線機が活躍している(三栄ムック ラリーカーズ Vol.1 Lanchia Stratos HF「Interview with Key Person チェザーレ・フィオリオ」、1985年当時映像より抜粋参考)。
^ ただし、当時実際参戦した履歴のある同一シリアルN.O.のマシンでなくても同型、同年式の市販車を競技規則に則した範囲の改造及びリビルドを施した上での参戦も可能。

出典^モンテカルロがWRC復活。2012年WRCカレンダー発表 Archived 2013年12月15日, at the Wayback Machine. - as-web.jp・2011年6月4日
^ACM RALLYE MONTE-CARLO HISTORIQUE Archived 2011年5月23日, at the Wayback Machine.2011年5月11日参照。
^1er Challenge Prince Albert de Monaco-rallybase.nl
^ FIA ヒストリックレギュラリティーラリーの事。
^Web CG 往年の名車がモナコを走る!「ラリー・モンテカルロ・ヒストリック」2011年5月12日参照。
^東京大学 タフな東大生 Archived 2011年8月26日, at the Wayback Machine.
^Club Honda Classic Le meme equipage et 30 ans separent ces photos au depart du rallye de Monte Carlo Archived 2015年8月10日, at the Wayback Machine.(仏)2011年5月14日参照

関連項目

男と女 - 1966年のフランス映画。主人公の男はレーサーという設定で、フォード・マスタングでモンテカルロ・ラリーに出場するシーンなど、実際のラリー映像も使用されている。

栄光への5000キロ - 1969年公開の日本映画。石原裕次郎扮するレーサーがモンテカルロの峠道で事故にあう。

モンテカルロ・ラリー (映画) - 1969年の英パラマウント配給、トニー・カーティス主演の映画。

傷だらけの競争車(ラリーカー) - 梶山季之が1967年に発表した推理・サスペンス小説

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