サンガーがプロジェクトに関わっていた当時は、彼は共同設立者として認識されており、疑義を呈されることはなかった[6][41][48]。また、サンガーはメディアにおいても共同設立者のひとりとして広く認識されていた[59][60][61]。
そして、ウィキペディアはNupediaから思いがけなく派生したプロジェクトであり[62]、本来は編集者側のレビューの前の段階での共同執筆を可能にするためのものだったのである[25]。 サンガーは哲学の教授[63]としてオハイオ州立大学の講師職に就き、2005年6月まで教壇に立った[14]。専門は認識論で、とりわけ初期近代の哲学および倫理学を扱った。余暇にはオハイオ州コロンバスやデイトンでフィドルを用いたアイルランドの伝統音楽の演奏や指導を行っている。また、伝統的なフィドルについてのウェブサイトも運営している[64]。 2005年12月、ディジタル・ユニヴァース財団(Digital Univers Foundation)はサンガーが「分散コンテンツプログラム」(Distributed Content Programs)のディレクターとして雇用されていると発表した[65]。その後、2006年初頭に立ち上がったDigital Universe Encyclopediaのウェブ・プロジェクトの中心的なまとめ役となる[66][67]。Digital Universe Encyclopediaは、項目執筆およびユーザーの投稿記事の正確さをチェックする専門家を雇用する予定であり、この企画の最初のステップが、地球についての電子レファレンスであるEncyclopedia of Earthであった[68][69]。 2006年4月、サンガーは「テキストとコラボラーション:テキスト・アウトライン・プロジェクトのための私的マニフェスト」(Text and Collaboration: A personal manifesto for the Text Outline Project)を発表。これは彼が「強いコラボレーション」(各人がそれぞれの関心領域に参画し、だれもコントロールを要求しないもの)とよぶものの重要性と、この「強いコラボレーション」がWikipediaの無政府的な基本ルールよりも有効なものになりうる可能性、さらに〈世界の本〉(The Book of the World)をつくりあげるためにテキスト・アウトライン・プロジェクトを新規に立ち上げることを述べたものである。このテキスト・アウトライン・プロジェクトは、歴史上の哲学者の思索を内容と時代で整理して概要を示し、それらの間に生じた議論のアウトラインをとりまとめるプロジェクトである[70]。 2006年9月の「オズの魔法使い」カンファレンス(Wizards of OS=Wizards of Operating Systems conference)で、サンガーはウィキペディアのフォークであるCitizendium構想を発表した。
Wikipedia以後