インターネットを用いた最初の試みはリストサーバ(listserver, メーリングリストを発行する技術のひとつ)を用いて学生と講師が交流できる場をつくるもので、「専門性の高い指導」を可能にし、「チュートリアルおよびその方法論を討議し、ボランタリーで自由な講師と学生が従来の大学機関を介さずに互いを見つけ出し、そのことのメリットと可能性を追求するためのインターネット上のフォーラムとして機能する」ことを試みるものだった[16]。サンガーは哲学をディスカッションするメーリング・リストを作り、調停役として参加した。その「体系的哲学協会」(Association for Systematic Philosophy)は会報も刊行した[17]。1994年3月22日付の投稿では、サンガーはマニフェストを起草している:
「これまで哲学の歴史は不和と混乱に満ちていた。この事態に対して、哲学の真実が知りうるか否か、あるいはそうした真実が存在するかどうかを疑う哲学者がいる。しかし、また別の反応もできるだろう。つまり、個々人の知的先達よりもさらに注意深く、入念な思考を始めることができるかもしれないのだ。[13]」
サンガーは1991年にリード・カレッジで哲学の学士を、2000年にオハイオ州立大学で哲学のPh.D.を取得した。学士論文は『デカルトの方法論とその理論的背景』("Descartes' methods and their theoretical background")と題されたもので、博士論文は『認識論的循環:メタ正当化問題についての試論』("Epistemic Circularity: An Essay on the Problem of Meta-Justification")である。
1998年から2000年にかけては「サンガーのY2Kニュース・レヴュー」(Sanger's Review of Y2K News Report, 以前はsangersreviw.comに設置されていた)というウェブサイトを運営している。これはいわゆる2000年問題に関心をもつ者のためのリソースサイトであった[18]。
2007年から、サンガーはオンライン教育の可能性を検討し始めている。「一方的な伝達行為ではなく、脱中心的で、自己決定的で、非同時的で、完全にデジタルで、遠隔的にオーガナイズされる教育について考えてみた」と述べ、「いくつかの基本的なルールの他には強制力をもつ官僚的機構がなく、意思決定は完全に教師と学生の手によって行われるものになるだろう」と語っている[19]。
『ミネソタ・デイリー』紙のインタビューで「アカデミックな世界にCitizendiumが寄与できると考えていますか」と問われ、「もちろんです。これは教師たちが学生に積極的に利用を勧め、学生がそこから信頼できる情報を得られるものになりうると考えています。多くの学生が何かについて調べる手がかりとしてWikipediaを使っていることは知っています。手がかりにすることは問題ないですし、実際にその用途では非常によくできたリソースになっていると思いますが、Citizendiumの査読を経た記事はWikipediaに載っている記事よりもいっそう信頼性の高いものになるとなるでしょう」と応えている[20]。 Nupediaはウェブ・ベースの百科事典で、専門家によって執筆された記事をフリーなコンテンツとして提供するものだった[21]。ジミー・ウェールズによって設立され、ドット・コム企業Bomisの賛助を得た。編集主幹として雇用された[22]サンガーは、他の編集者を募り、記事のレビューのプロセスを考案した[21]。Nupediaの遅々とした進行に疑問を抱いたサンガーは[23]、2001年1月にウィキを用いて執筆編集作業を効率化することを提案する[24]。この提案を形にしたものが2001年1月15日に公式発足した英語版ウィキペディア(以下、単に「ウィキペディア」)である[25][26][27][28]。 サンガーはNupediaの活動の中心的存在であったため、ウィキペディア立ち上げの際には先頭にたってプロジェクトを進行し、名付け親となり、基本的な方針の大部分の構想を行った。この中には「あらゆるルールを無視せよ」および「中立的観点」というポリシーも含まれている[29][30][31]。サンガーは2001年1月15日から2002年3月1日までの期間、ウィキペディアで唯一の報酬を受け取る編集者だった。2002年2月にBomis社がサンガーの給与支払いを停止するまでNupediaとウィキペディア双方で働くとともに宣伝活動も行い[31]、3月1日にNupediaの編集主幹およびウィキペディアのチーフ・オーガナイザーの職を辞した[32]。サンガーは両プロジェクトでボランティアとして参加することをやめた理由として、パートタイムのボランティアでは満足に参加することができないからだと語っている[32]。 Nupediaはその翌年閉鎖した[33]。
オンライン百科事典
NupediaとWikipedia