ラトコ・ムラディッチ
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2011年5月26日に、セルビアのボリス・タディッチ大統領によりムラディッチが同国内で逮捕され、身柄は旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷へ引渡す方針であることが発表された[6]。なお、セルビア首都ベオグラードで彼の逮捕をめぐる抗議デモが起きている[14]

2011年5月31日、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷のあるデン・ハーグに移送された[7]
逮捕後・裁判

2011年6月3日、人定質問や起訴事実の朗読などの予備審理のため、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に初出廷した[15]ジェノサイド、人道に対する罪など11の罪状を挙げた起訴事実の読み上げに対し、ムラディッチ被告は「不快だ。聞いたこともない」と述べ、罪状認否を拒否した[15]

2011年7月4日、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に2回目の出廷[16]。裁判長が起訴状の読み上げに移った際、ムラディッチ被告は「ノー、ノー、ノー。それを読むな。一言もだ」と叫び裁判を妨害をし、裁判長に退廷を命じられた[16]

2012年5月16日、ムラディッチ被告の裁判が開始された[17][18]。法廷では「喉をかき切るジェスチャー」を行い、裁判長から咎められた[17][18]

2015年6月、裁判の証人としてハーグに召喚するため、ノルウェー人将校を探しているとメディアが報じている[19]

2016年12月7日、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で検察は最高刑となる終身刑を求刑し[20]2017年11月22日に終身刑が言い渡された[21]

2020年8月25日-26日、「国際刑事法廷メカニズム」で控訴審が行われ、ムラディッチ被告は「国を守っただけだ」と無罪を主張した[22][23]。国際刑事法廷メカニズムは一審判決を支持し、2021年6月8日に終身刑が確定した[9]。「ラトコ・ムラディッチの裁判(英語版)」も参照
家族

ムラディッチは妻ボサ・ムラディッチ(Bosa Mladi?)との間に息子ダルコ (Darko)と娘アナ・ムラディッチ(Ana Mladi?)がいる。息子ダルコ (Darko)は2006年に妻アイダ (Aida)との間に息子が生まれており、ムラディッチにとって初めての孫となる。

1994年3月、ベオグラード大学で医学を学んでいた23歳のアナ・ムラディッチは、父親の銃で自殺してしまった。彼女の自殺の原因としては、当時父親がセルビアのメディアから激しい批判を浴びていたことがあると考えられている。
参照^ Bulatovic, Ljiljana (2001). General Mladic. Evro 
^ Janji?, Jovan (1996). Srpski general Ratko Mladi?. Matica srpska. p. 15 
^ “Mladic shows no remorse as war crimes trial opens”. CNN. (2012年5月17日). https://edition.cnn.com/2012/05/16/world/europe/netherlands-mladic-trial/index.html?hpt=hp_t3 
^ “アーカイブされたコピー”. 2008年4月17日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2015年7月13日閲覧。
^ “アーカイブされたコピー”. 2008年12月8日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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