ラテン・ジャズ
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ルンバ[注 1]ソンマンボ[2]サルサメレンゲカリプソチャチャチャ[注 2]ボレロの要素を含むものを指す。

ニューヨークに渡ってきたキューバからの移民は、西アフリカなどのリズムが体に染みついており、彼らを通じてアフロ・キューバン(afro-cuban)と呼ばれるラテン音楽のジャンルが形成されるに至った。このアフロ・キューバン音楽から、後にマンボ、ルンバ、チャチャチャ、サルサ等が派生し、またお互いに影響しあって発展していった。

1941年に、キューバ人でコンガ奏者のマチートがマンボのバンドを始めた時、義理の兄弟であり、ビ・バップトランペット奏者で編曲家のマリオ・バウサがマンボをジャズに取り入れた。これがアフロ・キューバン・ジャズの始まりとされる。ビバップ奏者でトランペッターのディジー・ガレスピー[注 3]ラテン音楽に着目し、コンガ奏者のチャノ・ポソを迎え、ラテン・ジャズを発展させた。この中で、「マンテカ」「ティン・ティン・デオ」が誕生した。
ブラジリアン・ジャズ

ブラジル音楽が直接の源流に当たり、音楽の形態が変わってくるためキューバ系とは分けて見られることが多い。ブラジリアン・リズムのサンバボサノヴァ[注 4]の要素を含んでいる。またボサノヴァはサンバよりも、ブラジルの裕福な階級が成立させたジャンルである。サンバとボサは密接な関わり合いを持っている。

1962年に、アメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツジョアン・ジルベルトと共演したボサ・ジャズ・アルバム『ゲッツ/ジルベルト』がアメリカで大ヒットした。特にこの中でジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った「イパネマの娘」は大きな売り上げを記録し、アメリカの一部の音楽ファンにボサノヴァを浸透させた。このアルバムに参加していたピアニストのアントニオ・カルロス・ジョビンも、ジャズのクリード・テイラーをプロデューサーに迎え、"Wave"等のアルバムを残した。ただ、彼らの音楽は「ボサ・ジャズ」であって、ラテン・ジャズの主流とは言えない。アメリカのジャズの分野では、グルーブ感のあふれるハンク・モブレー[3]の「リカード・ボサノヴァ」が知られている。

サンバ、ボサノヴァなどのブラジリアン・リズムを取り入れたミュージシャンの代表格としては、セルジオ・メンデス&ブラジル66が上げられる。彼らのヒット曲「マシュケナダ」は、ボサノヴァではなく「ボサ・ロック」であったが、世界のいくつかの国でヒットを記録した。
代表的な人物、グループ

ウィリー・ボボ

ディジー・ガレスピー

モンゴ・サンタマリア Mongo Santamaria

ティト・プエンテ Tito Puente

エディ・パルミエリ Eddie Palmieri

イラケレ Irakere

ミッシェル・カミロ Michel Camilo

熱帯JAZZ楽団

代表的な曲

キャラバン」 - デューク・エリントン

「リカード・ボサノヴァ」 - ハンク・モブレー

ウォーターメロン・マン」 - モンゴ・サンタマリア

「マンテカ」 - ディジー・ガレスピー

「イヴィル・ウェイズ」 - ウィリー・ボボ

脚注[脚注の使い方]
注釈^ ザビア・クガートが発展させたジャンル。
^ 有名な演奏家にはエンリケ・ホリンがいる。
^ チャーリー・パーカーとともにビバップを創造したことで知られている。
^ アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルトらが有名である。

出典^http://www.allmusic.com/style/afro-cuban-jazz-ma0000012262
^http://www.allmusic.com/style/mambo-ma0000002709


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