ラップ
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日本に輸入されるのはだいぶ後になってからで[出典 24]スネークマンショーが1981年2月21日にリリースしたアルバムスネークマン・ショー』に収録された「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」(作詞:スネークマン・ショー 作曲:細野晴臣)は、非常に早い日本語ラップの事例である[出典 25]。制作経緯については、スネークマンショーのメンバーだった小林克也は「(何年だったかは忘れたが)六本木を歩いていたら、あるスタッフに呼びとめられて、スクラッチとラップを聴かされた、アーティスト名は忘れたが、それを聴いて衝撃受けた、これで世界が変わるかもしれないと思うほどで、パンクにやられたときと同じような衝撃を感じた。それですぐ、これをやりたいなとブロンディの『ラプチュアー』のアナログ盤をいじって「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」を作り、『スネークマン・ショー』に収録した」と話している[出典 26]宇多丸は「小林克也さんに直接お話を聞いたときに得た証言があります。シュガーヒル・ギャングの『Rapper's Delight』がアメリカで1979年にリリースされて大ヒットしているときに、それをニューヨークで聴いた桑原茂一さんが、『番組でもこんな感じの曲をやろう!』と。当時はまだサンプラーもないですから、『Rapper’s Delight』の元となった、シックの『Good Times』の、頭の「ドンドンドンドン……♪」の部分を、テープを切り貼りして、輪っかを作ってトラックのループとする擬似的なサンプリングループみたいな制作で、桑原さんがニューヨークから帰ってきてすぐ、1980年初頭くらい」と聞いた」と述べている[出典 27]。「つまり『咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』は『Rapper's Delight』から直接的な影響を受けて日本の音楽として置き換えたもので、ヒップホップは、1980年代初頭にはほぼリアルタイムで日本に輸入されていたことになる」と論じている[出典 28]反復フレーズに乗って登場する2人のキャラクターが何かと自慢しあう[出典 29]、同曲が「日本初のラップ」である[出典 30]。小林は「絶えず音楽を紹介しているから、新しいものが出てくると、僕なりに受け止める。最初のころのラップは『服をたくさん持っている』とひたすら自慢するとか、そういう感じの歌詞だったんです」述べており[23]、それが自身の音楽に反映した[23]

その後、本格的にラップをやるため[24]、ザ・ナンバーワン・バンドを結成し[24]1982年6月21日発売のアルバム『もも』に広島弁のラップ「うわさのカム・トゥ・ハワイ」を収録[出典 31]。同曲が日本で最初のラップという評価もある[出典 32]。「うわさのカム・トゥ・ハワイ」は、曲はポップながら、移民の苦労や真珠湾攻撃など、反戦歌的内容を方言を用いてラップで自虐的に歌うという[23]、その後の日本に於けるラップのプラットフォームを準備する楽曲になった[23]

磯部涼は「日本で最初にラップ・ミュージックの要素をアレンジに取り入れたのは『咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』。その後1980年代前半までは同曲と同傾向の歌謡ラップが数多く制作された」と論じている[28]いとうせいこうも「『咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』はラップ」と話している[29]テクノを得意とする音楽ライター・四方宏明は「『咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』は、元祖日本語ラップでもあり、お笑いテクノの元祖でもある」等と論じている[27]

「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」に続く日本のラップ曲は、1981年3月21日にリリースされたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)5枚目のアルバム『BGM』に収録された「RAP PHENOMENA/ラップ現象」(作詞:細野晴臣、ピーター・バラカン、作曲:細野晴臣)である[25]ラップ現象とラップをかけた言葉遊びのような歌詞ではあるが、日本のラップで曲名に「ラップ」が使用された最初の楽曲。ただこの曲は細野の作詞をピーター・バラカンが英訳したものを細野自身が全編英語でラップしており、日本(語)のラップではない[25]。メロディも本格的なテクノサウンドである。

山田邦子は1981年12月5日発売のシングル「邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)」(作詞:山田邦子、作曲:渡辺直樹)と[出典 33]、1982年12月5日発売のセカンドアルバム『贅沢者』に収録の「哲学しよう」(作詞:山田邦子、作曲:細野晴臣)でラップを披露している[26]

日本の事典用語辞典で「ラップ」という言葉が紹介されたのは『現代用語の基礎知識(1984年版)』が最初[3]。執筆は中村とうようで、ラップを「1970年代の終わりから82年にかけてニューヨークで大流行したファンク・サウンド


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