ラップ
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これがラップの誕生[出典 17]。クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュアフリカ・バンバータが初期のヒップホップDJ三強が技術を改良[出典 18]。当時はあくまでパーティという感覚で音源化するという発想はなく、レコードはなく、パーティの様子を録ったカセットテープが出回った[出典 19]。これに「ラップが今、若者に流行ってるらしいから、レコードを出せば儲かるんじゃない」と発想したソウルシンガー・シルヴィア・ロビンソンが、ラップが出来そうなピザ屋で働いている連中とかを適当に集めて作ったのがシュガーヒル・ギャングで[出典 20]、彼らの1979年9月16日リリースのシングル 「Rapper's Delight」が世界で初めてのヒップホップ/ラップのレコードの大ヒット曲になった[出典 21]

ヒップホップの起源は前述のように比較的明らかとされ[13]、クール・ハークこと、本名:クライブ・キャンベル発祥である[13]ジャマイカキングストン生まれのクライブが[13]、家族でアメリカニューヨークのブロンクスに移り住んでからその歴史がスタートした[13]。重要なのはジャマイカキングストンでは巨大なスピーカーが積み上がったサウンド・システム、ソマーセット・レインからスカレゲエが大音量で流れ、それに合わせて自分のなどを朗読したり即興の語りを披露したりするスタイルが日常的に行われていたことで[13]、これは、ジャマイカではトースティングと呼ばれる一つの音楽スタイルになっていた[13]。12歳だったクライブの耳には、キングストンの音響システムとトースティングの体験がくっきりと脳裏に残っていた[13]。アメリカ移住後にブロンクスのラジオから流れてくるロックディスコのDJカズン・ブルージーやウルフマン・ジャックなどにも影響を受けた[13]。クライブ・キャンベルは15歳でブロンクスでハウス・パーティを定期的に開催し、まだ誰にも知られていない存在ながら、DJクール・ハークを名乗り自らDJを始めた[13]。DJクール・ハークのパーティーの評判は次第にブロンクス中に広まり、やがてジャマイカの移民仲間であるコーク・ラ・ロック、DJクラーク・ケントの3人で「ハーキュロイズ」を結成[13]。ジャマイカで体験したサウンドシステムをベースに、曲中のリズム・セッションやパーカッションだけのブレイクの部分を「メリーゴーラウンド」と呼ばれるテクニックで延々と引き延ばした[13]。同じレコードを2枚用意して、ブレイク部分を繰り返し繋ぐ手法[13]。こうしてブレイクが何分も続くことでダンサーたちは興奮し、踊り狂う[13]。1976年頃にこのブレイク部分になると飛び込んできて踊りまくるアクロバティックなダンサーたちをクール・ハークがブレイク・ボーイズ、略してBボーイズと呼んだ。これがブレイクダンス(breakdancing,breakin')の誕生となる[13]

ヒップホップ/ラップ/ブレイクダンスは全て1970年代に生まれたものであるが、アメリカではラップの先駆曲はコメディアン・ピグミート・マーカムによる1968年の「Here Comes the Judge」と評価されているという[13]。またラップミュージックの基本的リズムパターンを生み出したのはファンクの元祖・ジェームス・ブラウンという見方もある[13]。ブラウンの後継世代によるPファンクは、ブラウンとラップを繋ぐ役割を果たした[13]。ラップミュージックはリズムビートの部分で多くをファンクのグループに依っている[13]デ・ラ・ソウルスヌープ・ドギー・ドッグドクター・ドレーなど、極めて多くのヒップホップミュージシャンがそのサウンドをカバーリミックスする[13]
日本におけるラップ日本のヒップホップについては「日本のヒップホップ」を参照
歴史

1980年代初頭はまだアメリカでもヒップホップ/ラップは、ニューヨークのごく一部にイケてる人だけが知っている音楽と考えられ[出典 22]、ニューヨーク以外の人以外は全く知らない状態のため、1970年代以前の日本におけるヒップホップ/ラップについては記録はない[出典 23]

日本に輸入されるのはだいぶ後になってからで[出典 24]スネークマンショーが1981年2月21日にリリースしたアルバムスネークマン・ショー』に収録された「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」(作詞:スネークマン・ショー 作曲:細野晴臣)は、非常に早い日本語ラップの事例である[出典 25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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