ラッツ&スター
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バンド名は、フランスの高級アパレルブランドシャネルとは無関係で、憧れのグループであったアメリカのオールディーズバンド「シャ・ナ・ナ(Sha na na)」とドゥーワップグループ「ザ・チャンネルズ(The Channels)」からとって名付けたもので、バンド名の通り当初は「シャ・ナ・ナ」のコピーバンドとして主に活動しており、顔も黒く塗っておらず衣装もTシャツスカジャンというスタイルであった。

1976年には『ぎんざNOW!』(TBS)に出演。その後一部メンバーの脱退が続いたが、その入れ替わりに鈴木の幼なじみである桑野と、中学時代は高橋と同級生だった須川が加入する。

1977年、当時最高峰のアマチュア・バンドコンテスト『EastWest'77』(主催・ヤマハ)に出場し、決勝大会まで進出して入賞を飾る。同コンテスト決勝大会には、サザンオールスターズ(入賞)、カシオペア(優秀グループ)が出場していてプロへの足掛かりを作っている。また大瀧詠一とこのころ関係を持ち始め、1978年発表の大瀧がプロデュースしたアルバム『LET'S ONDO AGAIN』には鈴木がソロを取り佐藤がコーラスを担当した曲と、メンバー全員で参加した曲の2曲が収録された。なお、名義はそれぞれ竜ヶ崎宇童とモンスターとなっている。
黒塗り姿でのドゥーワップに路線変更

『EastWest'77』でサザンオールスターズを始めとする他のバンドに圧倒されたメンバーは、シャネルズをもっと強く印象づけられるものが何かないか探していた。そんな時、田代が深夜にテレビで放送されていた東宝映画『三匹の狸』(1966年)を観ている時に小沢昭一が演じていた黒塗りパンチパーマの詐欺師にヒントを得て、黒塗りの顔でステージに立ってみることを発案する。

話し合った結果、目立つようにメインボーカルの4人だけが顔を黒く塗ることに決め、衣装も黒い顔に似合うものを探して、キャバレーの呼び込みが着ていた制服であるど派手なタキシードを安く仕入れた。そして、鈴木の父が持っていた黒人音楽のレコードやジャケットを見て、衣装に合う振り付けを考え出した。こうして『EastWest'78』にはレコードデビュー後のスタイルに近い形で出演し、その後の曲のレパートリーも本格的なドゥーワップが中心となっていった。

鈴木は1981年の雑誌インタビューで「黒人の音楽は超えられないけど、近づくことは出来ると思う。黒人に近づく為のポリシー、スピリットは、顔を塗ってアピールすることから始まったから、自分達の音楽は黒いな、とか、お客さんが、シャネルズは黒いなって思ってもらうようになったら、塗る必要なんかなくなる」と述べている[3]

ただ、当時しばらくはドゥーワップがなかなか世間で認められず苦労するも、山下達郎には早くから認められていた。その後新宿ライブハウス「ルイード」で定期的に行っていたライブが次第に評判を得始め、アマチュアバンドの中では一、二を争う人気グループとなっていく。このころ脱退したメンバーと入れ替わりに横浜のアマチュアバンド「ダックテールズ」のリーダーだった山崎がメンバー入りし、更にその後サイドギター担当が抜けた後釜に葛飾区柴又出身の出雲が加入してデビュー後のメンバーが揃う。

レコードデビュー前にもテレビ出演を果たしており、例えば、「独占!おとなの時間」(東京12チャンネル〈現:テレビ東京〉)では中途から数回出演し、「シュブーン」などのドゥーワップを披露している。
レコードデビュー

1980年2月にメンバー10人でレコードデビュー。同年3月、群馬県で開催された「シャネルズ」のコンサートの後、メンバー10人のうち5人(桑野信義・久保木博之・新保清孝・山崎廣明・須川泰男)が、当時未成年だったファンの女子2名にわいせつな行為をしたとして書類送検され、事件に関与したメンバーは半年間謹慎する。

いっぽうでデビュー曲「ランナウェイ」がミリオンセラーを記録する大ヒット。顔を黒塗りすることで、ブラックミュージックの雰囲気を出したことが話題となり、お茶の間でも一躍人気グループとなる。また、「『ドゥ・ワップ』ってなんだろう?」と音楽雑誌でも取り上げられるなど、日本にドゥーワップ・ブームを巻き起こす。

黒塗りメイクにはデビュー当時まで白髪染めを、以後は濃い色のファンデーションを塗っている(当時は靴墨を塗っているという説が一般的であったが、靴墨はファンがやっていたため自分たちも靴墨と言っただけで、靴墨は臭くてとても塗れないでしょうという趣旨のコメントを後に桑野が述べている)。

なお、デビュー後もしばらくの間は、メンバー全員がそれまでの仕事を続けていた(リーダーの鈴木雅之は実家の鉄工所で働く旋盤工、他のメンバーもトラック運転手やガソリンスタンドやデパート勤務といった本業を持っていた[4])。同年、ロサンゼルスの名門ライブハウス「WHISKEY A GO GO」に出演を果たした。

1982年1月、一旦それまでの活動を休止し、全員が昼間は旋盤工などの仕事をして、夜に集まって練習をするという生活に戻った。2ヶ月後に復帰し、この時に「CHANELS」のスペルを「SHANELS」と変えている。前述のシャネル(CHANEL)からの物言いがあったと言われているが、鈴木はスペルを改めた理由として「CHANELS」だと海外ではチャネルズと読まれてしまうためと述べている[注釈 1]。以後、シャネルズ時代の音源などが発売された時は、ジャケットなどの「CHANELS」の表記は全て「SHANELS」と変えられている。
ラッツ&スターに改名

1983年、『サヨナラ・シャネルズ・フェアー』開催に伴いシャネルズとしての活動を終了させ、ラッツ&スターに改名。ラッツ&スターとしてのデビュー曲「め組のひと」が80万枚を売り上げる。

バンド名を変更した理由はあまり明言されることがなく、ドゥーワップにとらわれないグループを目指すためと説明されることもあるが、スペル改名後もシャネルからのクレームが続いたためと言われることが多く、同業である化粧品会社(資生堂)のCMソングを担当することになったためという説もある。

バンド名の「RATS & STAR」は「ドブネズミ達と星」を意味し、逆から読んでも「RATS & STAR」となる。下町育ちのドブネズミ達がDoo-Wapを歌うとRATSがひっくり返りSTARになったというのが本義。なお、シャネルズ時代の1981年にすでに『ラッツ&スター』というタイトルの本を刊行していた。

また、この年の7月24日には『ALL NIGHT NIPPON SUPER FES. '83』に出演し、大瀧詠一、サザンオールスターズと競演する。最後は『蛍の光』、『上を向いて歩こう』をセッション。

その後、ピアノの山崎とベースの高橋が脱退して8人体制になる。1984年3月、週4回放送の5分間バラエティ帯番組マンガチョップ'84』(フジテレビ)に大森笑劇研究会(おおもりしょうげきけんきゅうかい)名義でレギュラー出演し、コントを披露した。同年11月からは文化放送ラジオ番組『RATS ENTERTAINMENT'85』がスタートした。
活動休止?その後

1985年東京赤坂日枝神社でメンバー5人が合同結婚式を行い、話題を呼ぶ[注釈 2]。結婚式当日は花嫁を引き連れて『夜のヒットスタジオDELUXE』(フジテレビ)の第1回目に出演。後に須川が抜けて7人体制になるが、その後メンバーは一人一人が個人で活動していくようになる。田代と桑野はタレント業を主な活動の場とするようになり、鈴木は1986年にソロ歌手としてデビューした。久保木は一般人となり、時折ラッツで集まる以外は芸能活動を行わなくなり、佐藤は音楽プロデューサー・実業家に転身した。活動休止以前に脱退した山崎、高橋、須川を含む他のメンバーもラッツ以外の音楽活動や一般人となるなどそれぞれの道に進んだ。

1987年、鈴木の実の姉である鈴木聖美の歌手デビューをサポート。「鈴木聖美 with Rats&Star」としてリリースしたデュエット曲「ロンリーチャップリン」がヒットし、後にカラオケのデュエットソングの定番となった。「鈴木聖美 with Rats&Star」としての楽曲発売は同年11月のシングル「TAXI」が最後となり、以後は新曲をリリースすることもなく活動休止状態になる。しかし年越しライブ「NEW YEAR ROCK FESTIVAL」への出演など単発的な活動は行っており、1989年に発売されたゲームソフト「田代まさしのプリンセスがいっぱい」ではラッツ&スターのメンバー全員がゲーム内に登場するなどしていた。又、同時期にはゼネラル石油のCMにもメンバー全員で出演した事もあった[注釈 3]。90年代に入るとそのような機会もほとんどなくなっていき、1991年には新保が覚醒剤不法所持で逮捕されている。

1992年7月15日には『SOUND ARENA』(フジテレビ)に緑のスーツを着て出演し、メドレーを披露している。この番組は田代が司会を務めていた番組であり、同年6月24日の放送に鈴木がゲスト出演した際に同じく司会を務めていた徳光和夫(徳光、堺正章、田代の3人で司会を務めていた)が鈴木にラッツでの出演を持ち掛けて実現したものだった。

ネズミ年の1996年にメンバーが再集結し、期間限定で活動を再開する。ラッツ&スターとしては11年振りとなるシングルである大瀧詠一プロデュースの「夢で逢えたら」をリリースし、ライオン株式会社の歯磨き「クリスタ」のCMソングに起用された。その後全国ツアーを敢行し、同年、同曲で『第47回NHK紅白歌合戦』に初出場する。


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