ラスト_サムライ
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また劇中の侍の髷は全て中国の苦力風に仕立てられているが、これは結髪を米国の中国人スタッフが担当したためである[7]

主なロケ地は姫路市にある古刹、書寫山圓教寺。戦闘場面や村のシーンなどはニュージーランドで、街中のシーンはハリウッドのスタジオで撮影された。このほか、冒頭で10秒ほどであるが、長崎県佐世保市九十九島の遠景が使われている。ロケ現場(書寫山圓教寺
配役について

勝元役の選考に当たっては、渡辺謙以外に役所広司も有力候補であったという。本作品においては、勝元は英語も話せる立場である事がキーとなっている。オーディションが行なわれた時点では、渡辺謙は英語が満足に話せなかった。そのため渡辺は、オーディションに合格してから英会話を特訓した。その甲斐あって、現在では英会話に関しては通訳無しで意思疎通ができるレベルに到達し、それ以降の作品(『SAYURI』や『硫黄島からの手紙』、『インセプション』など)でも英語力を生かした演技をこなしている。なお、真田広之は撮影開始時点ですでに英語が話せた事を生かし、演出面で日本人から見ておかしく感じる部分が無いかといった微細な部分に関して、ほとんどの撮影現場に立会って意見を述べ、結果的にスーパーバイザー的役割もこなしており、英語の話せる原田眞人も同じく製作に協力した。最後の合戦シーンでは、JAC出身である真田広之の殺陣姿が大変に見事なものであったため、主役のトムよりも目立ってしまったとして、真田のシーンが大幅にカットされた。

勝元の息子・信忠役を演じた小山田真は、当時は俳優になるため留学生としてロサンゼルスに在住していたため、オーディションはロサンゼルスのキャスティングディレクターのビキー・トーマスのもと受けている。英語が流暢に話せすぎていた為、信忠役が話す英語をもう少し日本語っぽい英語するようにと言われていた。また、アメリカで全米武術大会優勝経験がある事も決め手の一つとなった。渡米2年後、最初の劇場映画であり、ハリウッドデビュー作品となった。

里の武士たち・政府軍の兵士たちを務めるエキストラはすべて、オーディションで集められた日本人である。エキストラを務めた者の記すブログに拠れば、政府軍を演じたグループが別のシーンでは里の武士を演じる事もあったという。当初、製作陣はこれらエキストラの起用に関して、徴兵制を経て兵器の取り扱いに慣れている韓国人や、銃規制のゆるい環境で育った日系アメリカ人などを使うことを考えていたようだが、トム・クルーズらの反対によって、日本から500名ほどの若者がニュージーランドに集められ、軍隊さながらの練成教育が行なわれた[8]
登場する火器について

この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2021年11月)

エドワード・ズウィック監督は1989年に南北戦争を題材とした『グローリー』を手掛けた事もあり、明治維新から西南戦争ごろまでの日本(1868年から1877年にかけて)を舞台とした本作でも、大日本帝國陸軍の軍装品やプロップガンの選定にはかなりのこだわりが見られ、欧米で入手可能なレプリカモデル[注 4]や現存実銃の制約から一部に史実との違いがみられるものの、南北戦争や普墺戦争終結により大量の在庫が生じた事が要因となり、欧米の武器商人の手で幕末の日本に大量に持ち込まれた前装式ミニエー銃マスケット銃)、そして欧米の後装式小銃を参考に村田経芳が日本独自のボルトアクションとして開発した村田銃へと変遷していく小銃史と、旧装備[注 5]を佩用した旧時代の武士の軍勢が新式の装備の国民軍に善戦空しく敗れ去っていく陸戦史が共に比較的正確に描写されている[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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