ラジオ
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アームストロングは世界初のFMラジオ局 W2XMNを1937年に開局させ放送を開始した[21]周波数変調および超短波放送(FM放送)を参照
デジタル化

2000年代に入って、先進国で地上デジタルラジオ放送が開始された。また、アメリカのシリウスXMラジオのような衛星デジタルラジオサービスも開始されている。
インターネットラジオ

2000年代にインターネットにおけるストリーミング配信を使ってラジオ番組を配信する方法が考案され、法人・個人含め様々なラジオ局が開設された他に、従来から電波を用いて放送してきたラジオ局もサイマル放送などで次々と参入した。PCやスマートフォンで手軽に聴取でき、従来の電波ラジオより音質も良いことから、2010年代後半以降はインターネットラジオが主流になった。アメリカでは各局のWebサイトでラジオ番組を配信しており、日本ではradikoが一括して加盟局のラジオ番組のサイマル放送を行っている。
アメリカのラジオ放送
3大ネットワークの誕生

アメリカでは1926年11月5日RCAの子会社としてNBCが設立され2波(NBC red network及びNBC blue network)の放送を開始した[21]

また、1927年9月18日CBSがラジオ放送をスタートさせた[21]

1940年にはNBC red networkとNBC blue networkが分割され、1945年6月15日にRCAはNBC blue networkを売却[21]。NBC blue networkは社名をThe Blue Networkとし、ネットワーク名をABCとした[21]
FMラジオの規格化と普及

アメリカでは1961年連邦通信委員会(FCC)がFMのステレオ技術を規格化して数百のFM局が開局した[22]。この規格ではゼネラル・エレクトリックゼニス社の共同に基づく「AM-FM」方式が標準ステレオ方式として採用された。

1966年には連邦通信委員会(FCC)がFMの放送内容をAMと分離することを決定し、FM放送の視聴者が増えるきっかけとなった[22]
日本のラジオ放送
歴史
国民のラジオ熱(免許制以前)

日本のアマチュア無線家は1920年代初期から自作の無線機で個人間の無線交信を行っており、1922年にはラジオ受信機の製作に関する情報誌『ラヂオ』が創刊されている[23]

その後、現在はオーディオ雑誌に変わっているが誠文堂新光社刊の『無線と実験』などが数多く発売され、また新聞社による独自のラジオ中継が行われたりした。1924年には、大阪朝日新聞による皇太子裕仁親王(昭和天皇)御成婚奉祝式典や大阪毎日新聞による第15回衆議院議員総選挙開票の中継をはじめ、数多くの実験的要素の強い中継が行われている。

1923年12月、逓信省は放送用私設無線電話規則を制定。翌年、当面東京名古屋大阪の3地域で、公益法人として各1事業者ずつ、ラジオ放送事業を許可する方針を打ち出した。
日本初のラジオ放送1925年のラジオ番組表。『朝日年鑑 大正14年 - 大正15年』より。“米突”はメートルの当て字。つまり375m=800kHz、385m=779kHz

日本初のラジオ放送は、1925年3月22日9時30分[24]、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京ラジオ第1放送。略称:AK)が東京・芝浦東京高等工芸学校千葉大学工学部の前身)内に設けた仮送信所から発した京田武男アナウンサーによるもので、第一声はアーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します

だった。波長は375m(周波数800kHz)、空中線電力(出力)約220Wだった。当時の受信機の性能に比して出力が弱かったため、東京市内でないとよく聞こえなかった。

元々は3月1日に放送を開始する予定だったが、購入する予定だった、当時日本に1台しかないウェスタン・エレクトリック(WE)社製の放送用送信機が、前年12月に同じく設立準備中の社団法人大阪放送局(JOBK:現在のNHK大阪放送局、略称:BK)に買い取られてしまった。そこで東京放送局は、東京市電気局電気研究所が放送実施のために購入したゼネラル・エレクトリック社製の無線電信電話機を借り放送用に改造して使用することにしたが、2月26日逓信省の検査で「放送設備が未完成のため3月1日の放送開始は時期尚早」と判断された。既に3月1日から放送を開始すると発表しており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験送信」の名義で逓信省の許可を受け、何とか3月1日から放送を開始することができた。

3週間の試験放送の後、逓信省の検査に合格し、3月22日に仮放送(仮施設からの正式な放送という意味)を開始し、7月12日東京府東京市芝区(現在の東京都港区)の愛宕山からの本放送が開始された。これには改めて購入した出力1kWのWE社製送信機を使用した。

大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を出力500Wで開始した。

さらに、社団法人名古屋放送局(JOCK:現在のNHK名古屋放送局、略称:CK)も同年7月15日に、出力1kWのマルコーニ社製送信機を使用して放送を開始した。

1925年、ラジオ聴取契約者は東京13万1373、大阪4万7942、名古屋1万4290件、受信機は鉱石式10円、真空管式120円[25]
1945年まで1920年代末のラジオ放送収録風景。右は粟島すみ子(中央)ら松竹蒲田撮影所の映画俳優たちによるラジオドラマ、左は演奏中の新橋芸者たち。

社団法人東京・大阪・名古屋放送局は翌年の1926年に「社団法人日本放送協会」として統合された。これは実質的には政府機関的な性格を持っていた。「全国鉱石化」(日本全国のどこでも鉱石受信機によるラジオ聴取を可能とするインフラの整備)を目標[注 10]に日本各地に放送局を開設したほか、外地南樺太豊原放送局)や南洋群島パラオ放送局)にも置局した。さらに、朝鮮には朝鮮放送協会台湾には台湾放送協会が設立され、日本放送協会の番組を多く中継した。

1927年8月、ラジオで全国中等学校優勝野球大会が中継された(初のスポーツ中継)[26]

1928年11月には昭和天皇の即位の礼が全国中継された(初の本格的な全国ネット放送)[26]。また、1930年2月にはロンドン軍縮会議の中継が行われた(初の国際中継)[26]

受信機としては、交流商用電源や大容量電池によって作動する真空管を使ったものが登場し、鉱石式のイヤホンに代わって、スピーカーで大きな音量の放送が聞けるようになる。ラジオ受信機自体は国内メーカーによって生産が可能となった。


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