また、NHKもAM放送は第1放送と第2放送を2025年度に一本化する方針を示している[35]。
ステレオ放送
複数の放送波によるステレオ放送(立体放送)二波利用のステレオ受信機
1950年代、NHKラジオ第1放送・第2放送や民放各社などが、2つの放送波を使ったステレオ放送(当時は立体放送と呼ばれた)を行った。NHKの例でいえば第1放送が左側の音声、第2放送は右側の音声をそれぞれ放送し、2つのラジオを並べて置いたり、2台分のチューナーを搭載したレシーバーを使ってステレオ音声を受信するものだった。テレビ放送が開始されると、ラジオとテレビを併用した立体放送も実施された。番組の冒頭では「左のラジオを○○放送に、右のラジオを○○放送に合わせ、私の声が中央から聞こえるように、受信機の音量を調節して下さい」といったアナウンスと、受信機の調整のための音楽が流された。
この方式では「モノラル放送との互換性がとれず、受信機を2台用意しないと片方のチャンネルしか聞くことができない」「左右の受信機に位相特性、周波数特性、レベル等の特性差があると、正しいステレオイメージが得られない」「NHKを除き、2局が協力しないと実現できない」などの問題が多かった。1963年以降、FMラジオ放送で、これらの問題点を解決したステレオ放送が行われるようになったことで、2つの放送波による立体放送は終了した。
沿革
1952年
12月5日 - 12月7日 - 第1回オーディオフェアにちなみ、NHK東京第1・第2放送の放送終了後の0:35 - 1:00に立体放送の試験放送を、ラジオ第1を左チャンネル、ラジオ第2を右チャンネルにして実施[36](以降、NHKによる同放送は、同放送が終了するまで、この定位にて行った)。録音・再生機には東京通信工業(現在のソニー)製のテープレコーダー(ステレオ録音用の試作機)を使用した。
12月20日 - NHK東京第1・第2放送、『土曜コンサート』の枠内で最初の立体放送の本放送実施[36]。
1953年
1月9日 - 北海道放送・FEN北海道、共同で日米交歓音楽会の立体放送実施。
2月28日 - NHKラジオ第1・第2放送、第2回の立体放送の本放送を全国中継で実施(『土曜コンサート』)。[37]
3月22日 - NHKラジオ第1・第2放送、明治座新派劇『息子の青春』をステレオ録音にて放送。[38]
8月23日 - NHKラジオ第1・第2放送、初の立体放送劇『死んだ鶏』を放送。[注 13][39][40]
1954年
11月13日 - NHKラジオ第1・第2放送、世界初の立体放送による定時番組『立体音楽堂』放送開始[41][42](当番組の2波ステレオでの放送は1964年4月5日まで。その後は当時同時に放送していたFMのみでの放送に変更。同番組終了は1966年4月2日)。
11月27日 - 第3回オーディオ・フェアにちなみ、ラジオ東京(KR 現在のTBSラジオ)・文化放送(QR)・ニッポン放送(LF)による三元立体放送(=3チャンネルステレオ放送)[注 14]を実施。各放送局30分の番組を制作し、番組毎に放送局のスピーカーの位置を変える演出を行う(「音楽劇ボードビル『鶏郎トリオ』」(ニッポン放送制作)[注 15]、ドラマ『われを呼ぶわれの唄』(ラジオ東京制作)[注 16]、「これがスウィング」(文化放送制作)[注 17]の計3番組を連続放送)。[43][44]
12月25日 - NHK東京、『立体音楽堂』の時間にラジオ第1・第2・総合テレビを使っての三元立体放送を実施(俳優座劇場中継 メノッティ作曲、歌劇『アマールと夜の訪問者』)。[45]
1958年
6月28日 - 北海道放送、ラジオ・テレビにより立体放送の実験実施。
9月15日 - 文化放送(左チャンネル)・ニッポン放送(右チャンネル)の共同による初の立体放送の番組「ステレオアワー」放送開始。[46]
11月 - 中部日本放送(現在のCBCラジオ)、ラジオ・テレビにより立体放送実施。