ラジオ
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既に各社ともワイドFMを実施しているが、広告収入の低下が続く中でFMとAMの二重投資になっていること、特にAM送信施設の立地(水害に弱い河川敷など広い土地が必要)や設備更新費用の高さ、放送を継続したままでの設備更新が問題となるのに対し[34]、FMは簡易な設備で費用が抑えられることがメリットとしている[35]。一方で、ワイドFMが受信可能なラジオ受信機の普及は2019年(平成31年)2月調査の段階で53%にとどまり、受信機買い替えのために周知期間も必要として、2021年6月の段階で発表したとしている[34]。2022年度にはAM局がFM局へ転換できるよう制度を改正し、2023年には停波の実証実験を行う考え[35]

また、NHKもAM放送は第1放送第2放送2025年度に一本化する方針を示している[35]
ステレオ放送
複数の放送波によるステレオ放送(立体放送)二波利用のステレオ受信機

1950年代、NHKラジオ第1放送・第2放送や民放各社などが、2つの放送波を使ったステレオ放送(当時は立体放送と呼ばれた)を行った。NHKの例でいえば第1放送が左側の音声、第2放送は右側の音声をそれぞれ放送し、2つのラジオを並べて置いたり、2台分のチューナーを搭載したレシーバーを使ってステレオ音声を受信するものだった。テレビ放送が開始されると、ラジオとテレビを併用した立体放送も実施された。番組の冒頭では「左のラジオを○○放送に、右のラジオを○○放送に合わせ、私の声が中央から聞こえるように、受信機の音量を調節して下さい」といったアナウンスと、受信機の調整のための音楽が流された。

この方式では「モノラル放送との互換性がとれず、受信機を2台用意しないと片方のチャンネルしか聞くことができない」「左右の受信機に位相特性、周波数特性、レベル等の特性差があると、正しいステレオイメージが得られない」「NHKを除き、2局が協力しないと実現できない」などの問題が多かった。1963年以降、FMラジオ放送で、これらの問題点を解決したステレオ放送が行われるようになったことで、2つの放送波による立体放送は終了した。
沿革

1952年

12月5日 - 12月7日 - 第1回オーディオフェアにちなみ、NHK東京第1・第2放送の放送終了後の0:35 - 1:00に立体放送の試験放送を、ラジオ第1を左チャンネル、ラジオ第2を右チャンネルにして実施[36](以降、NHKによる同放送は、同放送が終了するまで、この定位にて行った)。録音・再生機には東京通信工業(現在のソニー)製のテープレコーダー(ステレオ録音用の試作機)を使用した。

12月20日 - NHK東京第1・第2放送、『土曜コンサート』の枠内で最初の立体放送の本放送実施[36]


1953年

1月9日 - 北海道放送FEN北海道、共同で日米交歓音楽会の立体放送実施。

2月28日 - NHKラジオ第1・第2放送、第2回の立体放送の本放送を全国中継で実施(『土曜コンサート』)。[37]

3月22日 - NHKラジオ第1・第2放送、明治座新派劇『息子の青春』をステレオ録音にて放送。[38]

8月23日 - NHKラジオ第1・第2放送、初の立体放送劇『死んだ鶏』を放送。[注 13][39][40]


1954年

11月13日 - NHKラジオ第1・第2放送、世界初の立体放送による定時番組『立体音楽堂』放送開始[41][42](当番組の2波ステレオでの放送は1964年4月5日まで。その後は当時同時に放送していたFMのみでの放送に変更。同番組終了は1966年4月2日)。

11月27日 - 第3回オーディオ・フェアにちなみ、ラジオ東京(KR 現在のTBSラジオ)文化放送(QR)ニッポン放送(LF)による三元立体放送(=3チャンネルステレオ放送)[注 14]を実施。各放送局30分の番組を制作し、番組毎に放送局のスピーカーの位置を変える演出を行う(「音楽劇ボードビル『鶏郎トリオ』」(ニッポン放送制作)[注 15]、ドラマ『われを呼ぶわれの唄』(ラジオ東京制作)[注 16]、「これがスウィング」(文化放送制作)[注 17]の計3番組を連続放送)。[43][44]

12月25日 - NHK東京、『立体音楽堂』の時間にラジオ第1・第2・総合テレビを使っての三元立体放送を実施(俳優座劇場中継 メノッティ作曲、歌劇『アマールと夜の訪問者』)。[45]


1958年

6月28日 - 北海道放送、ラジオ・テレビにより立体放送の実験実施。

9月15日 - 文化放送(左チャンネル)・ニッポン放送(右チャンネル)の共同による初の立体放送の番組「ステレオアワー」放送開始。[46]

11月 - 中部日本放送(現在のCBCラジオ)、ラジオ・テレビにより立体放送実施。


1959年

RKB毎日放送九州朝日放送、共同で立体放送実施。

2月16日 - 毎日放送(右チャンネル)・朝日放送(左チャンネル)が共同で、立体放送による定時番組『ナショナルステレオホール』放送開始。

3月1日 - NHK東京、『立体音楽堂』の時間にラジオ第1・第2・教育テレビを使って三元立体放送実施(第2回NHKイタリア歌劇公演よりビゼー作曲・歌劇『カルメン』第2&4幕)。[47]

11月9日 - 文化放送・ニッポン放送の共同で、立体放送初の帯番組『パイオニア・イブニング・ステレオ』放送開始。[48]


1960年

東北放送、ラジオ・テレビにより立体放送実施。

3月27日 - 関西テレビ放送ラジオ関西、ラジオ・テレビによりステラマ(ステレオ・ドラマの略)『コルトを持つ男』を放送。

10月4日 - 中部日本放送(現在のCBCラジオ)・東海ラジオ放送、共同で立体放送開始。

11月5日 - 琉球放送がKSAR(日本語・左チャンネル)とKSBK(英語・右チャンネル)の2波を使って立体放送開始。


1960年代中期(時期不明)

当時宗教放送局のFEBC沖縄放送局(後の一般放送局・極東放送、現・エフエム沖縄)がKSDX(日本語・右チャンネル)とKSAB(英語・左チャンネル)の2波で立体放送開始。


1964年6月19日 - 文化放送・ニッポン放送の共同による立体放送の帯番組『パイオニア・イブニング・ステレオ』が終了。[49]

1965年

4月3日 - 前年にNHK-FM放送によるステレオ放送が全都道府県で聴けるようになったことを機に、NHKラジオ第1・第2放送はこの日に放送された『夜のステレオ』の最終回を最後に、NHKでの中波2波によるステレオ放送を終了する。

10月24日 - 文化放送・ニッポン放送の共同で行っていた中波2波によるステレオ放送が、この日の「これがステレオだ」の放送をもって終了する。[50]


FMステレオ放送

日本では1963年6月25日から当時のFM東海によってこの方式による試験放送が開始される。

日本においてステレオ放送が開始された当初は、電電公社のステレオ中継回線が整備されていなかったため、ステレオでの生放送は東京近辺のごく限られた地域でしか聴取できなかった。ステレオ収録された番組を放送する場合、NHKでは各拠点局札幌仙台東京金沢名古屋大阪広島松山福岡)にパッケージテープを送り、各地方局ではテープを流している拠点局の電波を再生する「放送波中継」方式がとられていた。


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