ラジオ
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通称:9キロヘルツセパレーション)が行われた[31]
1982年 - 1999年

1982年FM愛媛を皮切りに全国に民放FM放送局が相次いで開局する。1988年には東京で2番目となるエフエムジャパン(現在のJ-WAVE)が開局、大都市圏では複数の民放FM局が開設されるようになり、対象セグメントの多様化が進んだ。

1991年、衛星放送による有料ラジオ放送「セント・ギガ」開始。1992年にはコミュニティ放送が制度化され、都道府県単位よりもかなり狭い地域を対象としたラジオ放送が行われるようになった。同じく1992年にはAMステレオ放送開始、1995年にはFM文字多重放送もスタートするなど新技術導入が相次ぐ。

1995年阪神・淡路大震災では、災害時における情報伝達メディアとしてのラジオの重要性がクローズアップされる結果となった。以降、各局とも災害への対応を重点に置くようになる。また災害時の情報発信用として大都市圏に外国語FM局が開局したが、後に経営難に苦しむこととなる。
2000年 - 2009年iPodにおけるラジオ受信装置(左のリモコン)

不況に加えメディアの多様化が起因となりラジオ離れの動きが顕在化し、それに伴い広告費も減少し続けていることから、ラジオ局は厳しい運営状況を強いられていく(詳細はラジオ離れを参照)。

2000年12月、BSデジタル放送によるBSデジタル音声放送が開始されたが、2003年にセント・ギガが終了するなど衛星ラジオは市場規模が小さいまま終わり、他局も2005年以降順次廃局した。FM文字多重放送や、その後登場した地上デジタルラジオも失敗に終わっている。

AMステレオ放送を実施していた放送局も会社の合理化に加え、送信機更新の際に必要な装置が2000年半ばまでに生産中止になったのに伴い、AMステレオ放送を終了して元のモノラル放送に戻す放送事業者も2000年代後半に九州地区で出てきた。

一方で2000年代にはインターネットによるインターネットラジオが普及していった。
2010年 - 2020年

2010年3月15日0時(3月14日24時)より、地上波のラジオ放送と同内容をインターネットを利用してサイマル配信するIPサイマルラジオ「radiko」の実証実験が開始された。同年12月1日より「株式会社radiko」となり、順次配信対象エリアを拡大していった[32]。radikoは当初、本来の放送エリア内での無料配信のみとしていたが[注 12]2014年4月1日からは放送エリア外からも有料で聴取が可能になるエリアフリーサービス「radikoプレミアム」がスタートした。

またこれとは別に、RNBラジオでは、独自で2010年10月1日にCATVサイマル放送を、同年12月18日から2011年3月31日までIPラジオ実験放送をした。

一方、2010年、AMステレオ放送を断念してAMモノラル放送へ復帰する局が相次いだ。MBSラジオHBCラジオ2月28日深夜3月1日未明)、ABCラジオ3月14日深夜(3月15日未明)、STVラジオ3月28日深夜(3月29日未明)の放送をもってAMステレオ放送を終了した。終了の理由としてステレオ放送対応のための機材の生産が終了していてメンテナンスの保証がなくなった事があげられている[33]。2011年1月30日深夜(1月31日未明)にはTBSラジオも終了し、縮小していった。

AM放送については「都市型難聴対策」・「外国波混信対策」・「地理的・地形的難聴対策」・「災害対策」の観点から、2012年までに終了したアナログテレビ放送の周波数帯の一部を利用してFM波による補完放送が行われることになり、2014年12月1日北日本放送・南海放送を皮切りに、翌2015年に名古屋・東京・広島・長崎・鹿児島など、2016年には大阪・福岡など全国各地でスタートしている。これらの放送は一般的に「ワイドFM」と呼ばれる。

2020年以降流行した新型コロナウイルスへの感染対策として、2020年4月以降は収録時におけるアクリル板設置やリモート出演などの措置をとる所もみられた。「日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響#放送」も参照
2021年 -

2021年6月15日、民間放送のAM局のうち北海道・秋田の3社(北海道放送STVラジオ秋田放送)を除く44社が2028年秋を目処にAM放送からFM放送に転換し、在京局(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)を含む一部の社ではFM放送に一本化することを発表した[34][35]。既に各社ともワイドFMを実施しているが、広告収入の低下が続く中でFMとAMの二重投資になっていること、特にAM送信施設の立地(水害に弱い河川敷など広い土地が必要)や設備更新費用の高さ、放送を継続したままでの設備更新が問題となるのに対し[34]、FMは簡易な設備で費用が抑えられることがメリットとしている[35]。一方で、ワイドFMが受信可能なラジオ受信機の普及は2019年(平成31年)2月調査の段階で53%にとどまり、受信機買い替えのために周知期間も必要として、2021年6月の段階で発表したとしている[34]。2022年度にはAM局がFM局へ転換できるよう制度を改正し、2023年には停波の実証実験を行う考え[35]

また、NHKもAM放送は第1放送第2放送2025年度に一本化する方針を示している[35]
ステレオ放送
複数の放送波によるステレオ放送(立体放送)二波利用のステレオ受信機

1950年代、NHKラジオ第1放送・第2放送や民放各社などが、2つの放送波を使ったステレオ放送(当時は立体放送と呼ばれた)を行った。NHKの例でいえば第1放送が左側の音声、第2放送は右側の音声をそれぞれ放送し、2つのラジオを並べて置いたり、2台分のチューナーを搭載したレシーバーを使ってステレオ音声を受信するものだった。テレビ放送が開始されると、ラジオとテレビを併用した立体放送も実施された。番組の冒頭では「左のラジオを○○放送に、右のラジオを○○放送に合わせ、私の声が中央から聞こえるように、受信機の音量を調節して下さい」といったアナウンスと、受信機の調整のための音楽が流された。

この方式では「モノラル放送との互換性がとれず、受信機を2台用意しないと片方のチャンネルしか聞くことができない」「左右の受信機に位相特性、周波数特性、レベル等の特性差があると、正しいステレオイメージが得られない」「NHKを除き、2局が協力しないと実現できない」などの問題が多かった。1963年以降、FMラジオ放送で、これらの問題点を解決したステレオ放送が行われるようになったことで、2つの放送波による立体放送は終了した。
沿革

1952年

12月5日 - 12月7日 - 第1回オーディオフェアにちなみ、NHK東京第1・第2放送の放送終了後の0:35 - 1:00に立体放送の試験放送を、ラジオ第1を左チャンネル、ラジオ第2を右チャンネルにして実施[36](以降、NHKによる同放送は、同放送が終了するまで、この定位にて行った)。録音・再生機には東京通信工業(現在のソニー)製のテープレコーダー(ステレオ録音用の試作機)を使用した。

12月20日 - NHK東京第1・第2放送、『土曜コンサート』の枠内で最初の立体放送の本放送実施[36]


1953年

1月9日 - 北海道放送FEN北海道、共同で日米交歓音楽会の立体放送実施。

2月28日 - NHKラジオ第1・第2放送、第2回の立体放送の本放送を全国中継で実施(『土曜コンサート』)。[37]

3月22日 - NHKラジオ第1・第2放送、明治座新派劇『息子の青春』をステレオ録音にて放送。[38]

8月23日 - NHKラジオ第1・第2放送、初の立体放送劇『死んだ鶏』を放送。[注 13][39][40]


1954年

11月13日 - NHKラジオ第1・第2放送、世界初の立体放送による定時番組『立体音楽堂』放送開始[41][42](当番組の2波ステレオでの放送は1964年4月5日まで。


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