ラジオ
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1906年当時のアマチュア無線家らはまだコヒーラ検波器を使っており[13][14][15]、彼らの受信機が鉱石検波器へ切替わったのは1910年頃であった[16]。こういった時代背景を勘案すると、フェッセンデンの実験は広く聴取者に向けて送信される「ラジオ放送」というよりも、限定された技術者・通信士を対象とした「無線電話」の実験に属するとも考えられる。

一般人で無線の受信機を所有していたのはアマチュア無線家達のみであった[注 6]。アマチュア無線は第一次世界大戦の勃発で禁止されていたが、その終戦で1919年4月12日より、まず受信活動が解禁された[注 7]。戦後は一般アマチュアでも真空管が入手できるようになり、鉱石式受信機から真空管式受信機への置き換えが急速に進んでいた。

1920年1月17日、ワシントンD.C.アナスコティアにある海軍飛行場から、海軍省が娯楽音楽放送 NOFを始めた。これをもって国営放送の嚆矢とするが[17][18]、そのリスナー層は自分で受信機を組み立てたアマチュア無線家であった。なお、1923年1月3日、アナコスティア海軍航空局 NOFは本来の航空無線の研究に専念することとなり、娯楽放送を終了している[19]

また、一部のアマチュア無線家は無線電話を実験するようになり、無線電話で「放送したい」アマチュア無線家と、モールス電信で「交信したい」アマチュア無線家の混信問題が始まったのもこの頃である[注 8]

民間企業による商業放送として世界で最初に許可されたものは、ウェスティングハウス電気製造会社が1920年11月2日にアメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグで放送を開始したKDKAである。その中波送信機は同社の技術者フランク・コンラッドが設計し、開局初日の番組は大統領選挙の開票情報で、ハーディング候補の当選を伝えた。

選択度(分離性能)が良くない受信機で起きる、商業放送(周波数833kHz)とアマチュア無線家の放送(周波数1,500kHz)の混信問題もくすぶっていたが、1922年と1923年の法改正でアマチュア無線のオペレーター資格では放送できないことになり、多くのアマチュア無線家が商業放送局のオーナーや技術者に転向したため、問題はやや軽減した。さらに、1923年6月28日の規則改正[20]では、アマチュア無線家は短波を申請する権利を失ったかわりに、1,500 - 2,000kHzの帯域免許を獲得した。同時に毎夜20時00分から22時30分と、日曜午前の礼拝タイム[注 9]を送信禁止として、ラジオ放送とアマチュア無線の混信問題は一応の解決をみた。
短波ラジオ放送

極長距離を伝送できる短波ラジオ放送を最初に行ったのはオランダ国営放送で、1927年11月から海外植民地向けに放送を開始[21]。翌1928年には当時オランダ領であったインドネシアジャワ島での受信に成功する。この実績に追随してドイツソ連フランスイタリアイギリス等が1929 - 1932年にかけて植民地向け放送や海外宣伝放送を短波で開始している。
FMラジオ放送

1902年に周波数変調方式(FM方式)がフェッセンデンによって考案された。しかし、実用的なFMラジオは1933年12月26日にアメリカのエドウィン・H・アームストロングが特許を取得した技術による[21]。アームストロングは世界初のFMラジオ局 W2XMNを1937年に開局させ放送を開始した[21]周波数変調および超短波放送(FM放送)を参照
デジタル化

2000年代に入って、先進国で地上デジタルラジオ放送が開始された。また、アメリカのシリウスXMラジオのような衛星デジタルラジオサービスも開始されている。
インターネットラジオ

2000年代にインターネットにおけるストリーミング配信を使ってラジオ番組を配信する方法が考案され、法人・個人含め様々なラジオ局が開設された他に、従来から電波を用いて放送してきたラジオ局もサイマル放送などで次々と参入した。PCやスマートフォンで手軽に聴取でき、従来の電波ラジオより音質も良いことから、2010年代後半以降はインターネットラジオが主流になった。アメリカでは各局のWebサイトでラジオ番組を配信しており、日本ではradikoが一括して加盟局のラジオ番組のサイマル放送を行っている。
アメリカのラジオ放送
3大ネットワークの誕生

アメリカでは1926年11月5日RCAの子会社としてNBCが設立され2波(NBC red network及びNBC blue network)の放送を開始した[21]

また、1927年9月18日CBSがラジオ放送をスタートさせた[21]

1940年にはNBC red networkとNBC blue networkが分割され、1945年6月15日にRCAはNBC blue networkを売却[21]。NBC blue networkは社名をThe Blue Networkとし、ネットワーク名をABCとした[21]
FMラジオの規格化と普及

アメリカでは1961年連邦通信委員会(FCC)がFMのステレオ技術を規格化して数百のFM局が開局した[22]。この規格ではゼネラル・エレクトリックゼニス社の共同に基づく「AM-FM」方式が標準ステレオ方式として採用された。

1966年には連邦通信委員会(FCC)がFMの放送内容をAMと分離することを決定し、FM放送の視聴者が増えるきっかけとなった[22]
日本のラジオ放送
歴史
国民のラジオ熱(免許制以前)

日本のアマチュア無線家は1920年代初期から自作の無線機で個人間の無線交信を行っており、1922年にはラジオ受信機の製作に関する情報誌『ラヂオ』が創刊されている[23]

その後、現在はオーディオ雑誌に変わっているが誠文堂新光社刊の『無線と実験』などが数多く発売され、また新聞社による独自のラジオ中継が行われたりした。1924年には、大阪朝日新聞による皇太子裕仁親王(昭和天皇)御成婚奉祝式典や大阪毎日新聞による第15回衆議院議員総選挙開票の中継をはじめ、数多くの実験的要素の強い中継が行われている。

1923年12月、逓信省は放送用私設無線電話規則を制定。翌年、当面東京名古屋大阪の3地域で、公益法人として各1事業者ずつ、ラジオ放送事業を許可する方針を打ち出した。
日本初のラジオ放送1925年のラジオ番組表。『朝日年鑑 大正14年 - 大正15年』より。“米突”はメートルの当て字。つまり375m=800kHz、385m=779kHz

日本初のラジオ放送は、1925年3月22日9時30分[24]、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京ラジオ第1放送。略称:AK)が東京・芝浦東京高等工芸学校千葉大学工学部の前身)内に設けた仮送信所から発した京田武男アナウンサーによるもので、第一声はアーアー、聞こえますか。


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