ラジオ
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他のメーカーで5バンド以上を謳う社は存在するが、短波を周波数帯で細かく割っている[8]だけである。
5バンド
中国のメーカーTECSUN、XHDATA、RADIWOWには中波+FMステレオ+エアバンド+長波+短波の5バンドに対応しているものが複数発売[9][10][11]されており、流通量は少ないが入手は可能である。日本メーカーの5バンドはELPAの2014年発売機種のみ入手できる[12]
ワイドバンドレシーバ
基本的に無線電波通信広帯域受信機で、ラジオ放送・TV放送以外の業務用無線電波通信などの受信再生に対応し、受信可能電波帯域が広いだけでなく、多様な変調方式にも対応する事を目指している。前述の「ゼネラルカバレッジ」の概念を更に押し広げた物である。バンド数というより、対応広帯域バンドの一部が技術的理由で途切れているか、自主規制でマスクされていると理解すべき。
通信用受信機

送信機と組にする無線設備としての性能を重視したもので、外観としてはチューニング・ダイヤルが大きく操作しやすい、読みとりやすい周波数目盛りがあるかデジタル表示になっている、感度や選択度を可変できるつまみ類が付いている、電波型式を切り替えるスイッチがある、外部アンテナ端子があるなどの特徴がある。ただし必ずしもこれらすべてを満たしているとは限らず、また機能が豊富なものではよりたくさんのつまみ、スイッチ、接続端子を備えているものもある。一般に「レシーバー」とも呼ばれ、ラジオ放送帯域外にも対応する事が多い。出力音質は重視されない事が多い。
歴史「ラジオの歴史(英語版)」も参照
無線電話の始まり

1900年、歪みはひどいものの世界で初めて電波[注 4]に音声を乗せることに成功したのは、カナダ生まれでエジソンの会社で技師として勤めたこともある電気技術者レジナルド・フェッセンデンであった。これが無線電話の始まりである。

フェッセンデンは引き続き、ヘテロダイン検波方式や、電動式の高周波発振器を開発して改良に取り組み、1906年12月24日に、アメリカ・マサチューセッツ州の自己の無線局から、自らのクリスマスの挨拶を無線電話で送信した。フェッセンデンはこの日、レコードヘンデル作曲の「クセルクセスのラルゴ」と、自身が演奏するヴァイオリンと歌唱で“O Holy Night”をそれぞれ流し、聖書を朗読した。この実験はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」であっただけでなく「最初のクリスマス特別番組」でもある。フェッセンデンは「史上初のラジオアナウンサープロデューサー」と言える。
ラジオ放送の始まり

しかし、ヒューゴー・ガーンズバックが1905年11月より一般人向けて通信販売を始めた大衆無線機「テリムコ」の受信機は電波から音声を復調できないコヒーラ検波器[注 5]によるものである。またグリーンリーフ・ホイッティア・ピカードが電波に乗せた音声を復調する鉱石の検波作用を発見しその特許を得たのは遅く、1906年になってである。1906年当時のアマチュア無線家らはまだコヒーラ検波器を使っており[13][14][15]、彼らの受信機が鉱石検波器へ切替わったのは1910年頃であった[16]。こういった時代背景を勘案すると、フェッセンデンの実験は広く聴取者に向けて送信される「ラジオ放送」というよりも、限定された技術者・通信士を対象とした「無線電話」の実験に属するとも考えられる。

一般人で無線の受信機を所有していたのはアマチュア無線家達のみであった[注 6]。アマチュア無線は第一次世界大戦の勃発で禁止されていたが、その終戦で1919年4月12日より、まず受信活動が解禁された[注 7]。戦後は一般アマチュアでも真空管が入手できるようになり、鉱石式受信機から真空管式受信機への置き換えが急速に進んでいた。

1920年1月17日、ワシントンD.C.アナスコティアにある海軍飛行場から、海軍省が娯楽音楽放送 NOFを始めた。これをもって国営放送の嚆矢とするが[17][18]、そのリスナー層は自分で受信機を組み立てたアマチュア無線家であった。なお、1923年1月3日、アナコスティア海軍航空局 NOFは本来の航空無線の研究に専念することとなり、娯楽放送を終了している[19]

また、一部のアマチュア無線家は無線電話を実験するようになり、無線電話で「放送したい」アマチュア無線家と、モールス電信で「交信したい」アマチュア無線家の混信問題が始まったのもこの頃である[注 8]

民間企業による商業放送として世界で最初に許可されたものは、ウェスティングハウス電気製造会社が1920年11月2日にアメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグで放送を開始したKDKAである。その中波送信機は同社の技術者フランク・コンラッドが設計し、開局初日の番組は大統領選挙の開票情報で、ハーディング候補の当選を伝えた。

選択度(分離性能)が良くない受信機で起きる、商業放送(周波数833kHz)とアマチュア無線家の放送(周波数1,500kHz)の混信問題もくすぶっていたが、1922年と1923年の法改正でアマチュア無線のオペレーター資格では放送できないことになり、多くのアマチュア無線家が商業放送局のオーナーや技術者に転向したため、問題はやや軽減した。さらに、1923年6月28日の規則改正[20]では、アマチュア無線家は短波を申請する権利を失ったかわりに、1,500 - 2,000kHzの帯域免許を獲得した。同時に毎夜20時00分から22時30分と、日曜午前の礼拝タイム[注 9]を送信禁止として、ラジオ放送とアマチュア無線の混信問題は一応の解決をみた。
短波ラジオ放送

極長距離を伝送できる短波ラジオ放送を最初に行ったのはオランダ国営放送で、1927年11月から海外植民地向けに放送を開始[21]。翌1928年には当時オランダ領であったインドネシアジャワ島での受信に成功する。この実績に追随してドイツソ連フランスイタリアイギリス等が1929 - 1932年にかけて植民地向け放送や海外宣伝放送を短波で開始している。
FMラジオ放送

1902年に周波数変調方式(FM方式)がフェッセンデンによって考案された。しかし、実用的なFMラジオは1933年12月26日にアメリカのエドウィン・H・アームストロングが特許を取得した技術による[21]。アームストロングは世界初のFMラジオ局 W2XMNを1937年に開局させ放送を開始した[21]周波数変調および超短波放送(FM放送)を参照
デジタル化

2000年代に入って、先進国で地上デジタルラジオ放送が開始された。また、アメリカのシリウスXMラジオのような衛星デジタルラジオサービスも開始されている。
インターネットラジオ

2000年代にインターネットにおけるストリーミング配信を使ってラジオ番組を配信する方法が考案され、法人・個人含め様々なラジオ局が開設された他に、従来から電波を用いて放送してきたラジオ局もサイマル放送などで次々と参入した。PCやスマートフォンで手軽に聴取でき、従来の電波ラジオより音質も良いことから、2010年代後半以降はインターネットラジオが主流になった。アメリカでは各局のWebサイトでラジオ番組を配信しており、日本ではradikoが一括して加盟局のラジオ番組のサイマル放送を行っている。
アメリカのラジオ放送
3大ネットワークの誕生

アメリカでは1926年11月5日RCAの子会社としてNBCが設立され2波(NBC red network及びNBC blue network)の放送を開始した[21]

また、1927年9月18日CBSがラジオ放送をスタートさせた[21]

1940年にはNBC red networkとNBC blue networkが分割され、1945年6月15日にRCAはNBC blue networkを売却[21]


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