ラゴスは元来「エコ(Eko、「キャッサバ畑」の意味)」という名だった。村はベニン王国から来た王族、アドによって建てられた。彼はバロ、アキンセモイン、エレル・クティの3人を生んだ。エコは王宮の建てられた場所だった。エコの南の部分に入植していた元からいた人々は「イサレ・エコ(エコの底)」と呼ばれていた。
エレル・クティは王オログン・クテレを生み、その弟ショクンは王宮の裏に「オニレ・グバレ(地主がお前の土地を一掃する)」という名の族長の邸宅を与えられた。王朝はこうして始まり、王の弟は独自の族長家を王宮の裏で始めた。
今日のラゴスは16世紀にポルトガル人によって建設され、1851年まで奴隷貿易の一大中心地となった。1807年、イギリスが奴隷制の禁止をかかげて西アフリカ沿岸の奴隷貿易港湾を襲い、ラゴスもその手に落ち、1861年公式にイギリス植民地として併合された[5]。今日のナイジェリアの残る部分は1886年に征服され、ヨルバ人やイボ人の地域を中心とするニジェール沿岸保護領とハウサ人を中心とする北部ナイジェリア保護領、そして直轄の植民地であったラゴスの3つの領が成立した。ラゴスは両保護領の外港として発展し、1898年には内陸部とラゴスを結ぶ鉄道も建設を開始し、1901年から一部運行を開始した。この鉄道は1912年には北部ナイジェリア保護領の中心都市・カノまで全通し、ラゴスが貿易港としてより一層発展する基盤となった。1900年にニジェール沿岸保護領が改組されて南部ナイジェリア保護領
が成立するとその行政府もラゴスにおかれ、行政の中心としても発展を始めた。1906年には南部ナイジェリア保護領とラゴス直轄植民地が併合され、さらに南北ナイジェリアが1914年に1つの保護領として成立すると、ラゴスがその首都となった[19]。ラゴスはナイジェリア独立後の1960年代からビアフラ戦争に先立つ1970年代前半に掛け、石油生産を中心とした経済好況の結果、急速な発展を遂げ高層ビルが立ち並んだ。1976年、対立しあう北部と南部の中間にあるアブジャにナイジェリアの首都が移転することになった。しかし、ほとんどの政府機関(特に国家の中枢)は、アブジャが十分に開発されていないとの理由でラゴスに残ることとなった。アブジャはアメリカ合衆国のワシントンD.C.やブラジルのブラジリアのような人工的な首都であり、元から街のある通常の首都とは異なり荒地の上に新たに建設されたため、長い間街とはいえないような状態だったからである。1991年11月14日、国家の中枢とその他の政府機関がついに新しくできた首都に移り、行政機関とその関係者の大移動が起こった[13](多くの情報源では、1991年をラゴスが首都でなくなった年としているが、公式には1976年から首都ではなかった)。この変化は、ラゴスからいくらか権威と経済的な影響力を削ぐことになった。しかし、ラゴスが今でも国内最大の都市で経済の中心であるという重要性に変わりはない。
1980年代以降、クーデターが相次ぎ情勢は混乱し、政権は中央から地方まで腐敗したため、石油生産があるにもかかわらずナイジェリア経済は苦しくなった。ラゴスの失業率も高まり、大企業に勤務し邸宅に住むエリートと粗末なスラムに住む人々との格差は大きい。また犯罪率やエイズ感染率も高く、ラゴスの治安はアフリカ最悪級とされ、バックパッカーやビジネスマンたちの間でも悪名高い。現在は経済再建の途にある状態であるが、拡大し続ける大都市ラゴスの混雑や貧困を解決する余裕はしばらくなさそうである。 ラゴスには市長や独自の議会がない。もっともこれはアフリカの多くの都市に共通する特徴でもある。1960年の独立時にはラゴス担当相が置かれ、ラゴス市議会が市政を担当していたのだが、1967年にラゴス市議会は廃止され、周辺の西部州の一部とともに新設されたラゴス州の一部として再編された。それ以降ラゴスの行政を司るのはラゴス州政府となっている。1976年までラゴス州州都はラゴス島にあったが、その後北部郊外のイケジャに移っている。 ラゴス州はラゴス市の範囲を超えた広い地区を管轄するが、特にラゴス市の行政に力を入れている。州政府は道路、交通、電力、上下水道、保健衛生、教育などを担当している。 ラゴス島の古いコロニアル様式の建物にはラゴス州最高裁が拠点を置いている[20]。 ラゴスはナイジェリアを代表する港湾である。ナイジェリア港湾局が運営するラゴス港は、ラゴス港地区、アパパ港地区、ティン・カン港地区の3つに分かれている。港には貨物鉄道も乗り入れている。 港湾は消費財、食料、自動車、機械、部品などを輸入している。輸出しているのは木材や、カカオ、ナッツなどの農産品であるが、これら農林関係の商品は1970年代以降減少し、代わって原油の輸出量が増えており、特に1997年から2000年にかけて急増している[22]。石油と石油製品はナイジェリアのGDPの20%と外貨獲得の95%を担っている[23]。 ラゴスはナイジェリアの商取引の中心でもある。また多くの国の銀行や金融機関が支店をラゴスにおいている。 ナイジェリアの工業生産の50%以上はラゴスの本土側の郊外にある。特にイケジャ地区は工場が多い。機械、輸送機械、電気製品、化学製品、ビール、加工食品、繊維などが生産されている。
政治
対外関係
姉妹都市・提携都市
アトランタ、アメリカ合衆国[21]
ブリュッセル、ベルギー
ブカレスト、ルーマニア
カイロ、エジプト
コトヌー、ベナン
大邱、大韓民国
モンテゴ・ベイ、ジャマイカ
ニューカッスル・アポン・タイン、イギリス
イスタンブール、トルコ
ジャイプール、インド
オリンピア、ギリシャ
ポートオブスペイン、トリニダード・トバゴ
ラーナナ、イスラエル
リオデジャネイロ、ブラジル
サルセド
ザルツブルク、オーストリア
台北、台湾
トビリシ、ジョージア
トゥールーズ、フランス
経済civic center towers
観光ラゴスの伝統的な市場