ラゴス
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

1906年には南部ナイジェリア保護領とラゴス直轄植民地が併合され、さらに南北ナイジェリアが1914年に1つの保護領として成立すると、ラゴスがその首都となった[19]。ラゴスはナイジェリア独立後の1960年代からビアフラ戦争に先立つ1970年代前半に掛け、石油生産を中心とした経済好況の結果、急速な発展を遂げ高層ビルが立ち並んだ。

1976年、対立しあう北部と南部の中間にあるアブジャにナイジェリアの首都が移転することになった。しかし、ほとんどの政府機関(特に国家の中枢)は、アブジャが十分に開発されていないとの理由でラゴスに残ることとなった。アブジャはアメリカ合衆国のワシントンD.C.ブラジルブラジリアのような人工的な首都であり、元から街のある通常の首都とは異なり荒地の上に新たに建設されたため、長い間街とはいえないような状態だったからである。1991年11月14日、国家の中枢とその他の政府機関がついに新しくできた首都に移り、行政機関とその関係者の大移動が起こった[13](多くの情報源では、1991年をラゴスが首都でなくなった年としているが、公式には1976年から首都ではなかった)。この変化は、ラゴスからいくらか権威と経済的な影響力を削ぐことになった。しかし、ラゴスが今でも国内最大の都市で経済の中心であるという重要性に変わりはない。

1980年代以降、クーデターが相次ぎ情勢は混乱し、政権は中央から地方まで腐敗したため、石油生産があるにもかかわらずナイジェリア経済は苦しくなった。ラゴスの失業率も高まり、大企業に勤務し邸宅に住むエリートと粗末なスラムに住む人々との格差は大きい。また犯罪率やエイズ感染率も高く、ラゴスの治安はアフリカ最悪級とされ、バックパッカービジネスマンたちの間でも悪名高い。現在は経済再建の途にある状態であるが、拡大し続ける大都市ラゴスの混雑や貧困を解決する余裕はしばらくなさそうである。
政治

ラゴスには市長や独自の議会がない。もっともこれはアフリカの多くの都市に共通する特徴でもある。1960年の独立時にはラゴス担当相が置かれ、ラゴス市議会が市政を担当していたのだが、1967年にラゴス市議会は廃止され、周辺の西部州の一部とともに新設されたラゴス州の一部として再編された。それ以降ラゴスの行政を司るのはラゴス州政府となっている。1976年までラゴス州州都はラゴス島にあったが、その後北部郊外のイケジャに移っている。

ラゴス州はラゴス市の範囲を超えた広い地区を管轄するが、特にラゴス市の行政に力を入れている。州政府は道路、交通、電力、上下水道、保健衛生、教育などを担当している。

ラゴス島の古いコロニアル様式の建物にはラゴス州最高裁が拠点を置いている[20]
対外関係
姉妹都市・提携都市



アトランタアメリカ合衆国[21]

ブリュッセルベルギー

ブカレストルーマニア

カイロエジプト

コトヌーベナン

大邱大韓民国

モンテゴ・ベイジャマイカ

ニューカッスル・アポン・タインイギリス

イスタンブールトルコ

ジャイプールインド



オリンピアギリシャ

ポートオブスペイントリニダード・トバゴ

ラーナナイスラエル

リオデジャネイロブラジル

サルセド、ドミニカ共和国

ザルツブルクオーストリア

台北台湾

トビリシジョージア

トゥールーズフランス



経済civic center towers

ラゴスはナイジェリアを代表する港湾である。ナイジェリア港湾局が運営するラゴス港は、ラゴス港地区、アパパ港地区、ティン・カン港地区の3つに分かれている。港には貨物鉄道も乗り入れている。

港湾は消費財、食料、自動車、機械、部品などを輸入している。輸出しているのは木材や、カカオナッツなどの農産品であるが、これら農林関係の商品は1970年代以降減少し、代わって原油の輸出量が増えており、特に1997年から2000年にかけて急増している[22]。石油と石油製品はナイジェリアのGDPの20%と外貨獲得の95%を担っている[23]

ラゴスはナイジェリアの商取引の中心でもある。また多くの国の銀行や金融機関が支店をラゴスにおいている。

ナイジェリアの工業生産の50%以上はラゴスの本土側の郊外にある。特にイケジャ地区は工場が多い。機械、輸送機械、電気製品、化学製品、ビール、加工食品、繊維などが生産されている。
観光ラゴスの伝統的な市場

本土側が主要な住宅地区であり、地元のアフリカン・ポップ・ミュージックの演奏などを中心とした歓楽地区でもある。特にヤバとスルレレが有名である。またこれらの地区はナイジェリア国立競技場、大学の数々、北部へ向かう鉄道駅もある。

ラゴスの主要な観光地は全てラゴス島側にある。モスク、キリスト教会、独特の造形感覚で知られるナイジェリア諸民族の彫刻を数多く収蔵するラゴス国立博物館、ナイジェリア国立劇場、戦争記念碑のあるタファワ・スクエア、超高層ビルのインディペンデンス・ハウス(1963年建設)、バログン・マーケットなど多くの市場、ブラジリアン・クオーターなどが代表的な観光地である。

ビーチ・リゾートもラゴス周辺にいくつかある。また、ラゴスは国際空港と国内空港の2つがある。ただし市内の治安はヨハネスブルグナイロビと並ぶ悪さなので、特に夜間は十分注意すべきである。
交通第3本土連絡橋アパパ港

フェリー高速道路が都市の各部分をつなぐ。しかし、市内交通は混雑して機能していない。無数のバス、タクシー、自家用車、トラック、そして歩行者が幹線道路という道路を埋め尽くし、交差点やバスターミナルは末期的な症状を呈している。

理由は独立した島々からなる地形、爆発的な人口増加、これほどの人口を想定していなかった都市計画(ラゴスは人口300万人のケープタウン並の交通整備しかなされていない)、陥没しているなど整備の悪い道と、交通マナーの悪さなどである。

鉄道に関しては、1901年に運行を開始し、かつては南部のポートハーコートなど各都市からの列車が発着する中央駅が機能していたが、2000年代以前にインフラが維持できず荒廃。辛うじて北部のカノ行きの列車が運行されていたが2003年頃から2012年12月までは不通となっていた[24]。また、ラゴス近郊のイフォからラゴス間では交通事情改善のためラッシュ時のみ旅客輸送を行っている[25]2006年からは中華人民共和国イタリアの企業体により、改軌を中心とした近代化計画が動き始めた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:64 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef