ラグビーリーグ
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オーストラリアのその他の地域でも、毎年開催されるステート・オブ・オリジン(ニューサウスウェールズ州選抜とクイーンズランド州選抜の対抗戦)は最も人気のあるスポーツイベントの1つである[37][38]

ラグビーリーグヨーロッパ連盟 (RLEF) は欧州および北半球におけるラグビーリーグの発展を担っており[39]、アジア太平洋地域にはアジア太平洋ラグビーリーグ連合 (APRLC) がある[40]。ラグビーリーグヨーロピアンカップおよびパシフィック・カップがRLEFおよびAPRLCによってそれぞれ開催されている。ヨーロピアンカップとパシフィックカップの優勝国は1年毎にフォーネイションズの第4枠としてオーストラリア、ニュージーランド、イングランドと対戦する。リーズ・ライノズハルFCとの試合(2009年5月)

イングランドでは、ラグビーリーグは伝統的にこの競技の発祥の地であるヨークシャーランカシャーカンブリアなど北部のカウンティと結び付いているが、その人気は他の場所でも高まっている[41][42][43]。現在、スーパーリーグに所属する14チームの内2チームはこれらの伝統的カウンティ外を拠点としている(ロンドン・ブロンコズカタラン・ドラゴンズ)。ラグビー・フットボール・リーグ (RFL) によって発表された数字では、2008年10月以前の12カ月で女性のプレー人口が81%増加しており、男女共に若年層のプレー人口も増加している[44]。2008年10月現在で、4万人を超える選手がRFLによって登録されている[44]

フランスでは1934年にようやくラグビーリーグが初めてプレーされ、1930年代に(ユニオン側の)フランスラグビー協会の状態が愛想を尽かされたため人気が上昇した[45]。しかしながら、1940年6月に連合国がドイツによって破られた後、南部のヴィシー政権はラグビーリーグの機関とクラブに属する資産を差し押さえ、戦前にフランスを統治していた左翼人民戦線政府とのつながりからラグビーリーグを禁止した[45]。ラグビーリーグは1944年8月のパリ解放とヴィシー政権の崩壊後に禁止を解かれたが、1990年代までフランス当局によって無視されていた[45]。これにもかかわらず、フランス代表は1954年と1968年のワールドカップの決勝に進出し、1954年大会を主催した[46][47]。1996年、フランスのチームパリ・サンジェルマンは新たに設立されたヨーロッパスーパーリーグの11チームの1つとなったが、クラブは利益を上げられず、観客動員も少なく1997年に解散した[48]。2006年、スーパーリーグは南ラングドック=ルシヨン地域圏ペルピニャンのチームであるカタラン・ドラゴンの参加を承認した[49]。カタラン・ドラゴンは続いて2007年チャレンジカップファイナルに進出し、2008年スーパーリーグXIIIのプレーオフに進出した。スーパーリーグにおける「ドラゴン」の成功によってフランスのラグビーリーグの復興が始まり、シャンピオナ・ドゥ・フランス・エリート・アン(フランスエリート1選手権)のほとんどのチームの本拠とする南部において熱狂が芽生えた。

21世紀初頭にはその他の国々がラグビーリーグを再開し、ラグビーリーグ欧州連盟はドイツスウェーデンノルウェーハンガリーといった新たな地域にラグビーリーグを広めようと努力している[50][51][52]
国内大会

完全にプロ化された2つの主要なリーグとしてはオーストララシアナショナルラグビーリーグ(NRL)と欧州のスーパーリーグがあり、セミプロリーグとしてフランスのエリート1選手権とエリート2選手権がある。NRLやスーパーリーグの下部に存在する国内セミプロリーグ、特に州あるいはカウンティレベルのリーグには、オーストラリアではクイーンズランド・カップ(パプアニューギニアからの1チームを含む)とニューサウスウェールズ・カップがある。イギリスでは、スーパーリーグの下部にチャンピオンシップとリーグ1がある。フィジーラグビーリーグ全国競技会もセミプロチームを運営している[53]。その他の国々ではラグビーリーグはアマチュアレベルでプレーされている。
観客動員記録
国際大会

試合日付結果会場開催都市観衆
2013
ワールドカップ決勝2013年11月30日オーストラリア 34-2 ニュージーランドオールド・トラッフォードマンチェスター74,468
1992 ワールドカップ決勝1992年10月24日オーストラリア 10-6 グレートブリテンウェンブリー・スタジアムロンドン73,631
1932 Ashesシリーズ第1試合1932年6月6日イングランド 8-6 オーストラリアシドニー・クリケット・グラウンドシドニー70,204
1962 Ashesシリーズ第1試合1962年6月9日グレートブリテン 31-12 オーストラリアシドニー・クリケット・グラウンドシドニー70,174
1958 Ashesシリーズ第1試合1958年6月14日オーストラリア 25-8 グレートブリテンシドニー・クリケット・グラウンドシドニー68,777

国内大会

試合日付結果会場開催都市観衆
1999 NRLグランドファイナル1999年9月26日メルボルン
20-18 セントジョージ・イラワラ・ドラゴンズスタジアム・オーストラリアシドニー107,999
1999 NRLシーズン ラウンド11999年3月6日パラマタ・イールズ 20-10 セントジョージ・イラワラ・ドラゴンズスタジアム・オーストラリアシドニー104,583
1954 チャレンジカップファイナル再試合1954年5月5日ウォリントン 8-4 ハリファックスオッドサル・スタジアムブラッドフォード102,569[表注 1]
1985 チャレンジカップファイナル1985年5月4日ウィガン 28-24 ハルウェンブリー・スタジアムロンドン99,801
1966 チャレンジカップファイナル1966年5月21日セント・ヘレンズ 21-2 ウィガンウェンブリー・スタジアムロンドン98,536
^ 公式観客動員数。非公式の推計では15万人を数え、ブラッドフォード警察は12万人を確認している。

特徴とラグビーユニオンとの違い詳細は「ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較」を参照


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