ラグビーフットボール
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なお、ボールが楕円形であるなど他の球技に比べると珍しい特徴があるが、なぜこのような形になったかに関しては諸説があり、はっきりしていない[1]
名称

由来地名にあたる「ラグビー」を意味する "Rugby(ラグビー)" との区別は、表記言語的には大文字の使用・不使用で明示されるが[2]、一般には特に区別されない。また、球技「ラグビー」は英語で "rugger(ラガー) ともいい、この語は「ラグビーをする人」をも意味する[3]。ただ、「ラグビーをする人」を意味する英語としては "rugby player" のほうが一般的である。また、英語 "rugger" に由来する外来語としての日本語「ラガー」は、ほとんど後者の意味に限って通用し、後者の同義語「ラガーマン(: rugger man[注 1])」のほうが多く用いられる[4]

現代日本語では、ほとんどすべての場合「ラグビー」というが、1925年大正14年)ごろ以降[注 2]戦前第二次世界大戦前)には「ラ式蹴球(ラしきしゅうきゅう)」[5]が正式名称であったという[6]。また、戦局が悪化して敵性語が禁止され始めた1943年(昭和18年)3月から終戦まで使われた「闘球(とうきゅう)」がある[7]。なお、慶應義塾大学のラグビーは例外的に現在も昔ながらの「蹴球部」(慶應義塾體育會蹴球部)を名乗っている[7]。今でこそ「蹴球」は[8]サッカーの別名という認識が定着しているが、当クラブが創立された1899年明治32年)頃にはフットボール全般が「蹴球」で、ソッカー部(今でいうサッカー部)より数年早く創部されたラグビー部がその名を占有した(cf. 慶應義塾体育会ソッカー部)。「ラ式(※ラグビー式)」ことラグビー[8]、「ア式(※アソシエーション式)」ことソッカー(サッカー)[8][9]、「米式(べいしき)」ことアメリカンフットボール[8][10]などといった呼び分けは後付けである。
ラグビーフットボールの歴史「ラグビーユニオンの歴史」も参照

ラグビーフットボールの起源は、「1823年イングランドの有名なパブリックスクールであるラグビー校でのフットボールの試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリスがボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出した」ことだとされている。

1840年頃にはボールを持って走る「ランニングイン」が確立して普及しだしたのは確かであるが、その第1号がエリス少年だったかどうかについては諸説ある。しかし、エリスが最初にボールを持って走ったという証言が記してある文章が、ラグビーフットボールの起源を調べる上で最古の文献だということは間違いなく、起源と考案者を探る上で名前がわかっている人物はエリスただ一人である。なお、エリス少年がルールを破ったとされるのは、ボールを手で扱ったことでなく、ボールを持って走った行為についてである。その頃はまだ今でいうサッカーも生まれておらず、当時のフットボールでは手を使うこと自体はルールとして許されていた[注 3]

エリスは1806年にマンチェスター近郊で生まれ、ラグビー校では少なくとも3シーズン、フットボールをプレーしている。オックスフォード大学に進み、卒業した後は牧師となり、病気療養のために渡った南フランスで65歳で没した。南仏コートダジュールの小都市マントンに墓地がある。ラグビーフットボールとクリケットを愛したと伝えられている。

ラグビー校ではラグビーフットボールのルーツ以外にも多くの習慣が生まれており、イングランド代表の白いジャージの元になった白いシャツとショーツと紺色のストッキング、ハーフタイムにサイドをチェンジする習慣、インターナショナル代表がかぶるキャップ、H型のゴールポスト、楕円球のボールなどラグビーフットボールの起源を示すような証拠が多くこの学校から生まれた。

ラグビーフットボールの源流である「原始フットボール」は中世イングランドに起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って村と村の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。ちなみに1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようとオフサイドが生まれ、今日のラグビーフットボールにもルールとして生き永らえている。試合は祝祭でもあり、死者も出るほど激しかった。

19世紀に入り、ラグビー校やイートン校、ハロー校などパブリックスクールでは学校ごとに独自のルールでそれぞれのフットボールを行なっていた。それぞれ学校で違うルールの統一を目指した協議は長らく行われてきたが、1863年10月26日ロンドンのフリーメイソンズ・タバーンでFA(フットボール・アソシエーション)とロンドンにある12のクラブの間で会議が開かれ、12月までに6回のミーティングを持って統一ルールの作成を行った。この統一ルール作成により近代サッカーが本格的に誕生した。このとき、一部のクラブの代表が、ボールを持って走ること、ボールを運んでいる相手にハッキング(すねをけること)、トリッピング(引っ掛けてつまずかせること)およびホールディング(おさえること)を行うことが認められなくなったことに合意できず、FAを脱退した。これがラグビーフットボールとアソシエーションフットボール(サッカー)が分岐した瞬間である。

そして1871年、脱退した者たちによって、サッカーのFA(フットボール・アソシエーション、1863年設立)に対抗して、ロンドンラグビーフットボール連合(RFU:ラグビーフットボール・ユニオン)が設立された。

発祥であるイギリスでは中流階級から上流階級の間でも人気があり、その子息が通う名門校でも盛んに行われていることから「ジェントルマンのスポーツ」とも称される。
ラグビーユニオンとラグビーリーグ詳細は「ラグビーユニオン」、「ラグビーリーグ」、および「ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較」を参照

ラグビーフットボールは英国でも指折りの炭鉱地帯であるマンチェスターを中心とするイングランド北部のランカスターヨークシャー地方ならびにウェールズ南部で発展していった。

しかし1895年、選手の労働会社などへの休業補償問題(現在も兼業しながらプレーする選手が多数だが、当時は今と違ってラグビーフットボールにはプロ契約が存在しなかった)がきっかけで、北部でRFUからの分裂が起き、22チームからなるプロリーグが発足した。それ以降、世界にはラグビーという名のスポーツが2つあり、ケンブリッジ大学オックスフォード大学戦(ザ・バーシティマッチ)に代表される南部を母体とするアマチュア主義をうたった組織はラグビーユニオン、北部を母体とする報酬を目的とするものはラグビーリーグと呼ばれるようになった。


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