ラオス
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気候は基本としてサバナ気候である[41]

暑季は2月下旬ごろから5月。4月から5月の平均気温は30近くあり、最高気温が40度を超える日もある。

雨季は6月から10月。年間総雨量のほとんどは雨季に集中する。ただし1日中雨が降り続く日は少なく、短時間に大雨が降ることが多い。

乾季は11月から2月下旬。北東の季節風が吹き、降雨はほとんどない。12月から1月ごろには気温が下がって冬になる。

地方行政区分ラオスの行政区分詳細は「ラオスの地方行政区画」を参照

地方に議会を設置しないで、県知事は国家主席が、郡長は首相が、それぞれを任命するという中央集権的地方行政制度をとっている。

首都ヴィエンチャンを含む、広域ヴィエンチャン行政区であるヴィエンチャン都(ナコーンルアン・ヴィエンチャン/Prefecture)と17県(クウェーン/Province)から構成される。以前はサイソムブーン特別区(ケートピセート・サイソムブーン)が治安上の理由から首相府の直轄下に設けられていたが、2006年に廃止された。その後、サイソムブーン特別区は県に昇格して復活した。

ヴィエンチャン都と県の下には100前後の村(バーン)から成る郡(ムアン)がある。ムアンにはラーオ語で「郡」のほかに「街」という意味もあり、日本の市町村に相当するものだと考えられる。ヴィエンチャン都を除き、全ての県には県庁所在地となる郡があり、そこが県都とされている。

県都とされる郡の名称は「ポンサーリー郡」や「ルアンナムター郡」のように県の名前と合致する場合、「サイ郡」や「サマッキーサイ郡」のように県の名前とは全く異なる場合があるが、ラオス人の多くは他県のことであれば県の名称=県都(チャンパーサック県など一部例外はあるものの)であり、一般人で県都の名称を全て正確に覚えている人は少ない。
北部
ウドムサイ県 - (サイ郡

サイニャブーリー県 - (サイニャブーリー郡(英語版))

シエンクワーン県 - (ポーンサワン郡) - (軍事基地:ロンチェン

フアパン県 - (サムヌア郡

ボーケーオ県 - (フアイサーイ郡

ポンサーリー県 - (ポンサーリー郡(英語版))

ルアンナムター県 - (ルアンナムター郡

ルアンパバーン県 - (ルアンパバーン郡

中部
ヴィエンチャン県 - (ヴィエンカム郡(ベトナム語版))(ヴィエンチャン県はヴィエンカム県に改称する決定がラオス国民議会で決議された)

ヴィエンチャン都 - (首都:ヴィエンチャン

カムムアン県 - (ターケーク郡

サワンナケート県 - (サワンナケート, 旧称:カンタブーリー郡) ラオス第二の街

サイソムブーン県(元特別区)

ボーリカムサイ県 - (パークサン郡(英語版))

南部
アッタプー県 - (アッタプー郡(英語版))(ホーチミン・ルート

サーラワン県 - (サーラワン(英語版))

セーコーン県 - (ラマーム郡(英語版))

チャンパーサック県 - (パークセー郡) ラオス第二の街(ボーラウェン高原シーパンドン

主要都市詳細は「ラオスの都市の一覧」を参照

ラオスの首都はヴィエンチャンで、主要都市にルアンパバーンサワンナケートパークセー(パクセー)などがある。
交通詳細は「ラオスの交通」を参照
道路

都市部以外の地域においては、幹線道路の多くが舗装されていない。
鉄道詳細は「ラオスの鉄道」を参照「中国ラオス鉄道」も参照
空運詳細は「ラオスの空港の一覧」を参照

首都ヴィエンチャンにあるワットタイ国際空港には、タイ国際航空中国南方航空などが国外から乗り入れている。国内の航空会社では、ラオス国営航空がワットタイ国際空港を拠点に国際線と国内線を運航している。過去にはラオス初の民間航空会社としてラオ・セントラル航空も事業に参入していたが、2014年に運航を停止した。
経済首都ビエンチャンの街並みニューヨーク・タイムズで“世界で一番行きたい国”第1位に選ばれたこともあり、東南アジア最後の秘境とも呼ばれる。世界中から多くの観光客が訪れる観光立国でもある[42]。詳細は「ラオスの経済(フランス語版、英語版)」を参照

主要産業は、国内総生産(GDP)の34%を占める農業である[5]

2021年のラオスのGDPは190億ドル。一人当たりのGDPは2,595ドル。 国際連合による基準に基づき、後発開発途上国と位置づけられている[43]。2018年時点で1日2ドル未満で暮らす貧困層は国民の18.3%[44]

1975年12月にラオス人民民主共和国が樹立され、急速な社会主義化を行ったものの、タイからの国境封鎖や、1975年1976年の旱魃などにより、激しいインフレと農産物・日用品の不足を引き起こし、1979年には社会主義建設のスピードが緩和された。

1983年に再び社会主義化を目指すが、ソ連のペレストロイカの動きと呼応して1986年には市場原理の導入、対外経済開放を基本とする新経済メカニズムが導入された。

この間、ソ連やベトナムを中心とする東側諸国からの多大な援助に依存する経済構造であった。そのため、1989年から1991年にかけて東欧諸国で起こった共産政権の瓦解は、ラオスにとっても危機であった。この時期に価格の自由化を行ったことによって、激しいインフレと通貨キープが大幅に下落するなど経済は混乱した。

ラオス政府はIMFのアドバイスの下、経済引き締め政策を実施した。また、西側先進国との関係を改善し、国際機関や西側先進国からの援助が増大した結果、1992年には経済が安定した。

1997年7月に隣国タイで始まったアジア通貨危機はラオスにも大きな影響を与え、キープは対ドルだけでなく、対バーツでも大幅に減価した。

国内ではタイバーツが自国通貨のキープと同じように流通し、バーツ経済圏に取り込まれている。米ドルも通用するので、ホテルやレストランから市場や街の雑貨屋まで、この3つのどの通貨でも支払いができる。中国国境近くでは、人民元も通用する。

1997年ルアン・パバンの町が、2001年にはチャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群がそれぞれ世界遺産に公式登録されたほか、政府が1999年から2000年にかけてをラオス観光年として観光産業の育成に努力した結果、観光産業が急速に発達した。

観光のほか、国土の約半分を占める森林から得られる木材、ナムグム・ダムを始めとする水力発電の隣国タイへの売電、対外援助などが主な外貨源となっている。


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