1970年にアルバム『ライ・クーダー・ファースト』でソロ・デビューを果たす。
1978年春、日本のファンが長年待ち望んだ単独公演が、虎ノ門・久保講堂ほかで行われる。
1979年秋、デヴィッド・リンドレーと組み再来日公演を行う[2]。リンドレーとは1984年の映画『パリ、テキサス』のサウンドトラックでも共演[5]。以後も1990年、1995年と再度来日公演を行うなど、度々共演を重ねている。
1980年代以降は映画音楽を多く手掛けるようになり、自己名義のスタジオ・アルバム製作からは1987年の『ゲット・リズム』を最後にしばらく遠ざかることとなった。同作収録の"Goin' Back To Okinawa"では沖縄民謡風の音階やフレーズにも挑戦、喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム『BLOOD LINE』にも参加している。
1991年、ジョン・ハイアット、ジム・ケルトナー、ニック・ロウとリトル・ヴィレッジを結成。翌年同名のアルバムをリリースし、ツアーも行った。
1993年、インドのミュージシャンV・M・バットとの共演作『ア・ミーティング・バイ・ザ・リヴァー』を発表し、同アルバムで第36回グラミー賞の最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を受賞した[6]。翌1994年にはマリのブルースマンと称されるアリ・ファルカ・トゥーレとの共演作『トーキング・ティンバクトゥー』を発表し、第37回グラミー賞の最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を受賞した[6]。
1996年、キューバに赴き、エリアデス・オチョア、コンパイ・セグンドといった現地のミュージシャンたちとアルバム『Buena Vista Social Club』をレコーディングする。同作は、1997年の第40回グラミー賞において最優秀トロピカル・ラテン・パフォーマンス賞を受賞するなど[6]、欧米を中心に高い評価を受けた。1999年には、ヴィム・ヴェンダース監督による同名の映画が封切られている。
2003年、キューバ人ギタリストのマヌエル・ガルバンと連名のアルバム『マンボ・シヌエンド』を発表し、同作は第46回グラミー賞で最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受章した[6]。2005年、ロサンゼルスのメキシコ系アメリカ人コミュニティーを題材としたコンセプト・アルバム『チャヴェス・ラヴィーン』を発表し、続く2007年の『マイ・ネーム・イズ・バディ』、2008年の『アイ・フラットヘッド』も同様にストーリー性を持ったアルバムで、これら3作は「カリフォルニア三部作」と呼ばれている[7]。