ライプツィヒ
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そして17世紀後半から「時計職、馬具職、鞣皮職、染色職などのインヌンク(ギルド)が続々と成立した」ように手工業が栄えた[10]。それと共に市民層による各時代の芸術・文化が花開き、18世紀にはドイツ地方初のコーヒー店が登場し、テレマンバッハが市民の音楽活動を率い、ゲヴァントハウス管弦楽団が創設された。1813年にはナポレオン戦争中最大規模の戦いとなった諸国民戦争(ライプツィヒの戦い)が行われ、ナポレオン1世麾下のフランス軍19万と、プロイセンロシア帝国オーストリア帝国スウェーデンの連合軍36万が激突する舞台となった。

戦乱から復興後のライプツィヒは商業と並んで学芸、とりわけ西洋音楽における中心地として栄華を極める。19世紀のライプツィヒはウィーンパリと共にヨーロッパを代表する音楽の都として名を馳せ、この時代にメンデルスゾーンシューマンらが活躍した。工業化時代に入ると、ライプツィヒはその強固な経済基盤の下で工業都市として急速に発展し、それと共にドイツにおける社会民主主義運動や婦人運動の重要な拠点となった。ドイツ帝国ヴァイマル共和国有数の大都市として更なる拡大を見せ、1931年には人口71万9千人を数えた(現在までの最高記録)。

第二次大戦による惨禍の後、ライプツィヒのある中部ドイツはソ連占領区となり、1949年にそれがドイツ民主共和国(東ドイツ)となった。社会主義化したこの時代にはドレスデン、カール・マルクス・シュタット(現・ケムニッツ)と共に東ドイツの主要工業地域を形成した。メッセは社会主義政権下でも継続され、西側世界との貴重な窓口となった。東ドイツ時代末期の1989年にはニコライ教会での集会を発端とする「月曜デモ」と呼ばれる反体制運動が起き、これが東ドイツにおける民主化運動の出発点となった。当地の市民蜂起に始まり、ベルリンの壁崩壊、そして東西ドイツが犠牲者を出すことなく統一された一連の出来事は、現在東欧革命の一部として「東ドイツ平和革命(Friedliche Revolution)」と呼ばれる。東側から見る中心街

ドイツ再統一後には街並みの修復や再開発、芸術・文化面の再興などで再び急速な変遷を遂げ、現在のドイツ中部圏を代表する文化・経済都市となっている。ポルシェBMWの開発を担う新工場の建設や、アマゾンヤマザキマザックによる拠点開設、そしてDHLのヨーロッパ・ハブのブリュッセルから当地への移転といった企業進出に加え、音楽に代表される文化的環境(後述)を生かした文化創造産業も盛んである。

2015年には史料初出から1000年目を迎え、千年史記念祭の開催が予定されている。
交通
鉄道

ヨーロッパ最大の頭端式駅であるライプツィヒ中央駅があり、ドイツ中部圏における鉄道交通の要所である。同駅には一日700以上の列車が発着しており、ICERESバーンなどが利用できる。ベルリンフランクフルト中央駅および空港長距離列車駅)、ミュンヘンといった国内の各主要都市に乗り換えなしで行くことが可能。特に首都ベルリンとは毎時間運行のICEで約1時間15分で連絡している。中央駅から中心街の地下を通って市街南部へと抜ける「シティー・トンネル(City-Tunnel Leipzig)」が2013年12月に開通、中心街直下に地下駅が開業。

ライプツィヒ交通公団(Leipziger Verkehrsbetriebe GmbH)の運営する都市交通も充実しており、市内を多くの路面電車やバスが走っている。
空路

ライプツィヒ・ハレ空港(Flughafen Leipzig/Halle)が市内中心部より北西約15kmの所にある。空港はハレとライプツィヒの間にあり、貨物ターミナルにはDHLのヨーロッパ・ハブが置かれている。旅客ターミナルは鉄道駅と直結しており、市街とはSバーンやIC、バスで結ばれている。上述のシティー・トンネル開通後は空港駅から中央駅・マルクト駅(マルクト広場直下)といった中心街各駅まで乗り換えなしでアクセス可能となった。

ライプツィヒ中央駅

シティー・トンネルのルート図

旧市庁舎とマルクト駅南口(1925年完成の地下見本市ホールの入口部分を転用したもの)

中央駅前に停車中の路面電車

ライプツィヒ・ハレ空港(誘導路と高速道路が立体交差した珍しい構造)

文化

多彩な文化が栄えてきたライプツィヒは特に音楽の街として知られ、市街各地に音楽ゆかりの場所がある。芸術的環境やドイツで2番目に古い大学を有する都市として歴史上の様々な著名人がこの地へと集まった。また、世界で初めて日刊紙発行、見本市ライプツィヒ・メッセ)開催がなされた都市である。ドイツ有数のスポーツの街としての一面も持つ。
音楽
合唱団トーマス教会

トーマス教会少年合唱団(Thomanerchor)はトーマス修道院・トーマス学校と共に1212年に創設された市内最古の音楽団体で、その歴史を通しトーマス教会と市の中央教会であるニコライ教会を演奏の場としてきた。その指導者であり、市の音楽活動を統轄する立場にあったトーマス教会音楽監督(トーマスカントル)は近世以来ドレスデンの聖十字架教会と並んでドイツ・プロテスタント圏の教会音楽をリードしてきた。

歴代のトーマスカントルの中ではヨハン・ゼバスティアン・バッハ(任期:1723?50年)が最も著名で、ここで『ヨハネ受難曲』『マタイ受難曲』『クリスマス・オラトリオ』といった代表的作品が創作・初演された。合唱団は現在でも毎週トーマス教会の礼拝に出演し、800年にわたる合唱の伝統が守られている。
管弦楽団ゲヴァントハウス・コンサートホール

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、18世紀に市民の音楽文化が栄えるなか、市民階級による自主経営団体として1743年に発足した世界初の民間オーケストラである。フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディアルトゥル・ニキシュヴィルヘルム・フルトヴェングラーブルーノ・ワルターフランツ・コンヴィチュニーといった著名音楽家が楽長(首席指揮者)を務めた。 ベートーヴェンピアノ協奏曲《皇帝》』、シューベルト交響曲《ザ・グレート》』、シューマン交響曲《春》』、メンデルスゾーン『ヴァイオリン協奏曲』、ブラームスドイツ・レクイエム(全曲)』『ヴァイオリン協奏曲』などの初演を行なったことでも知られる。


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