ライフセービング
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最初の国際ライフセービング会議は1878年マルセーユで行われた。しかし、国際機関FIS (Federation Internationale de Sauvetage Aquatique)として発足するのは10年以上先の1910年のことである。FISのメンバーはフランスベルギーイギリスアイルランドドイツオーストリアルクセンブルクスイスデンマークスウェーデンブルガリアポーランドトルコアルジェリアチュニジアなど大部分がヨーロッパ諸国であった。
イギリス

イギリスでは1774年、溺者の蘇生活動を行うためロイヤル・ヒューメイン協会 (en:Royal Humane Society)が創立され、イギリス各地に救命用具を設置、また救命活動を行った者に賞金やメダルを与え表彰するなど2007年現在も活動を続けている。日本でも1890年頃から大日本帝国水難救済会(現日本水難救済会)が支援、表彰を行っている。

1891年に水泳のヨーロッパ・チャンピオンであったウィリアム・ヘンリー(:en:William Henry)が、ロイヤル・ヒューメイン協会にライフセービングの技術発展と教育の必要性を説き、イギリスとアイルランドでライフセービング活動を統括するスイマーズ・ライフセービング協会(同年ライフセービング協会と改名)が創立された。1904年エドワード7世より「ロイヤル」の称号を得てロイヤル・ライフセービング協会(en:Royal Life Saving Society 略称RLSS)と名乗る[9]

現在のイギリスにおいて、ロイヤル・ライフセービング協会の公認クラスはボランティアが教えており、生徒は10代が多い。RLSSブロンズ・メダリオン(en:Bronze Medallion)は100年の歴史を持ち、13歳以上で20時間の訓練を経て合格した者に与えられる。イギリス政府内務省は14歳から25歳の青少年を対象にエジンバラ公爵賞(en:The Duke of Edinburgh's Award)という著名な賞を設けており、RLSSブロンズ・メダリオンが受賞条件を満たすため[10]、賞をきっかけにライフセービングを始める若者も多い[11]
オーストラリアオーストラリア ニューサウスウェールズ州、レッドヘッド・サーフ・ライフセービング・クラブのメンバー。1908年撮影同州のマルーブラ・サーフ・ライフセービングのクラブハウス。2007年撮影。

イギリスのライフセービング活動は1894年にイギリス植民地であったカナダとオーストラリアに伝わり、ロイヤル・ライフセービング協会オーストラリア支部 (en:Royal Life Saving Society Australia 略称RLSSA)とカナダ支部が設立された。

プール遊泳が盛んなイギリスに比べ、温かい気候と長い海岸線に恵まれたオーストラリアでは海で泳ぎたがる者が多かったが、当時のオーストラリアでは日中に公共の場における遊泳は禁止されていた[12]シドニー住民の運動によって1902年頃から海岸が解禁され、海水浴を楽しむ者が爆発的に増えたが、同時に水難事故が多発した。当初は有志のみであったが、海岸における組織的なボランティア救助活動としてサーフ・ライフセービングに発展した。サーフ・ライフセービングにおける世界初の組織がシドニーで結成され、1907年10月10日にはSBANSW (Surf Bathing Association of New South Wales) というニューサウスウェールズ州全般に広がる組織となった。この年がオーストラリアにおけるサーフ・ライフセービング元年とされ、活動100周年を記念して2007年を「サーフ・ライフセーバー年」(Year of the Surf Lifesaver)と制定し各地でイベントが催されている[13]

オーストラリアでは1909年に有給でライフセービング活動を行うライフガードという職業制度が成立している。1924年にSBANSWは全国に広がる組織となり、海での救命活動を行うオーストラリア・サーフ・ライフセービング協会(en: Surf Life Saving Australia 略称SLSA)と改名し、同時にロイヤル・ライフセービング協会のオーストラリア支部(RLSSA)は海以外の水難救助を担当するという二分化が起こった。

オーストラリアでは1915年頃、デューク・カハナモクによって伝わったサーフィン1930年頃にはサーフ・スキー(en:Surf ski)を導入している。1923年に女性が初めてオーストラリアのライフセーバー資格ブロンズ・メダリオン(SLSA Bronze Medallion)を得たが、女性であるためメダルは贈られず海岸のパトロールにも参加できなかった。初の女性ライフセーバーが誕生したのは1980年である[13]

1953年に、それまでイギリス軍のマニュアルを用いた軍隊式訓練の要素が濃いかったものを、現場の状況に合わせたものに作り直そうという動きがあり、心肺蘇生法を導入した初のオーストラリア向けマニュアルが完成した。1950年代にカリフォルニア州マリブにちなんで名づけられたマリブ(en:Malibu Surfboard)というタイプのサーフィン用ロングボードが導入されたが、1960年頃にはそれまでの合板バルサに変わりポリウレタンガラス繊維強化プラスチック製マリブボードとなり[14]、ライフセービングにも広く普及した。

オーストラリア・サーフ・ライフセービング協会が中心となり、1971年ニュージーランド、イギリス、南アフリカ、アメリカ合衆国などが団結してワールド・ライフセービング(WLS)という国際組織を作り上げた。FISのメンバーがヨーロッパ諸国が多いのに対し、WLSのメンバーは環太平洋諸国が多かった。

SLSAは海岸地域を中心に活動をしていたが、2004年にオーストラリアの最大通信会社テルストラと共同で「海岸から内陸への教育」(Beach To Bush program)を始めた。


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