ライトノベル
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主として若年層を読者としているものの、その対象年齢は拡大しているとされる[20]。中心読者層が30代から40代以上の作品もある[28]
内容

内容は恋愛SFファンタジーミステリーホラー、学園ラブコメと多くのものを含んでいる。ビジュアルノベルアニメ漫画などの作品を原作にしたノベライズ作品も多く発行されている。逆に、ライトノベルを原作とした漫画化アニメ化映画化やテレビゲーム化、玩具化(フィギュア等)などのメディアミックスも盛んに行われている[29]

近年は作品と読者年齢層の多様化が見られる。また高殿円紅玉いづきなどライトノベルとそれ以外の小説の両方を出版する作家、乙一冲方丁桜庭一樹などライトノベル作家としてデビューした後、他ジャンルにも展開し、直木賞などの文学賞を受賞して文壇入りする作家の出現によって、それまでの概念から大きく広がりを見せている[30]
挿絵・イラストの重要性

ライトノベルにとっては、挿絵によるイメージと挿絵に対する読者層からの評価は、他ジャンルの小説よりも重要な意味を持つ。これは、ライトノベル読者のうち少なくない数が、イラストレーションで作品を選択する「イラスト買い」を行っていることに起因する。「イラスト買い」が多く行われる理由は、ライトノベルがメインのターゲットとしている層は活字よりもアニメやマンガに親しんでいる層であるためとされているからである[6]

初期のライトノベルの挿絵担当者は、安彦良和天野喜孝など油絵水彩画のような絵画手法をも持ったアニメーター出身者や、永井豪などの伝奇アクション作品系の漫画家いのまたむつみ美樹本晴彦などアニメ業界出身の当時の若手中堅イラストレーター、都築和彦などのパソコンゲーム業界出身のイラストレーターなどが主流であった。

少女文学のジャンルでは、1987年に花井愛子講談社X文庫ティーンズハートの創刊に際して企画から関わり、同年、『一週間のオリーブ』を第一線で活躍する人気漫画家のイラストを採用した華やかな少女小説として出版し、これが人気を集めたのに続いて、少年向けでも1990年代初頭、神坂一スレイヤーズ』の挿絵を手掛けたあらいずみるいの登場を契機としていわゆるアニメ塗りのイラストへの変革が発生した[31]。これはアニメを見慣れた世代の読者が増加するとともにそうした絵柄が支持を集めるようになったことと、ライトノベルの需要増加とともに短時間で大量のイラストを生産できる体制を確立する必要があったことに起因している[32]

1990年代後半に入るとパソコンと画像ソフトウェアの発達からCGを利用したイラストレーションが増加し、美少女ゲームなどからも人気を集める絵柄のエッセンスを取り込むなどの動きが見られた[33]。特に電撃文庫は緒方剛志黒星紅白原田たけひとなど、アニメ業界やゲーム業界でも活躍する若手イラストレーターの登用で躍進し、MF文庫Jがより大衆化された美少女路線で追随した。2000年代以降はいとうのいぢヤスダスズヒトブリキなどがヒットメーカーとして知られている[6]

ライトノベルでは人気イラストレーターが表紙(および挿絵)を担当すると、それだけで売り上げが伸びる効果があるとされている。榎本秋は「もちろんヒットしたのは作品が魅力的であるため」と前置きした上で、「イラストの力がそれ(売り上げ)を押し上げたのは間違いない」としている[6][注釈 3]

近年ではライトノベルと一般文芸の中間に位置するライト文芸の勃興によって、一般小説の装丁でもイラストレーターが重視されることが増えている。大多数の作品に挿絵イラストが使用されている一方で、あえて挿絵やイラストを使用しない方針をとる作品もある。これは「本屋で買うのが恥ずかしい」という中高生より上の年齢層の読者の敬遠や「イラストがあると却ってイメージが制限される」という読者に対応したものである[6]
歴史
1984年以前

明確なライトノベル専門のレーベルとしてではなく、後にレーベル中にライトノベルが含まれているとされている物を挙げる[34]

ソノラマ文庫 - 代表作『クラッシャージョウ』(1977年)、『吸血鬼ハンターD』(1983年)、『妖精作戦』(1984年)、等

コバルト文庫 - 代表作『なんて素敵にジャパネスク』(1984年)、『丘の家のミッキー』(1984年)、等

1984年以降

1986年から角川文庫で行われた「ファンタジーフェア」と、テーブルトークRPGなどを扱っていたパソコンゲーム誌『コンプティーク』を母体に、1988年に角川スニーカー文庫と富士見ファンタジア文庫が刊行される。同時に富士見書房から、テーブルトークRPGなどの非電源ゲームに特化した『ドラゴンマガジン』が創刊され、紙面の半分程度を同文庫に収録される作品などの連載に割いていた。

富士見書房は1989年からファンタジア大賞(当時はファンタジア長編小説大賞)の選考を開始し、準入選に神坂一らが選ばれた。当時のミリオンセラーを列挙すると『ロードス島戦記』、『スレイヤーズ』、『フォーチュンクエスト』、『魔術士オーフェン』、『風の大陸』などが挙げられ、「ファンタジーフェア」以来の和製ファンタジー小説を中心にヒットを飛ばしていた。

富士見ファンタジア文庫を刊行している富士見書房は、角川書店の子会社として設立された経緯から角川書店との関係が深く、元々は国文学主体の出版社であった角川書店が出版しない官能小説やアイドル写真集などの書籍を富士見書房の名前で発売するという形態を取っていた。その後、角川書店に合併されてからは角川書店富士見事業部となり、「書房」とは名乗っているものの角川書店の一部門であった。富士見書房に限らず、初期ライトノベルレーベルの大半は角川書店の傘下にあり、長く角川メディアオフィス系の角川グループがジャンルの主導権を握っていく。

大塚英志は、角川文化の台頭の背景には、朝日新聞に代表される旧「教養」の破壊を目的とした「見えない文化大革命」があり、その帰結がライトノベル、対する「反動勢力」がスタジオジブリであったとする[35]
1992年以降

1992年、経営上の対立から、角川書店の当時の社長角川春樹の弟である角川歴彦らを中心とした角川メディアオフィス系のメンバーが角川書店を退社し、メディアワークス(後にアスキー・メディアワークス)を設立した。これにより、角川スニーカー文庫からは水野良深沢美潮中村うさぎあかほりさとる等の人気作家を引き連れ、電撃文庫を創刊する。電撃文庫は当初、主婦の友社と提携し販売を行なっていたが、春樹は1993年8月29日にコカイン密輸事件で逮捕され、角川書店から事実上追放された。

これによって歴彦は、角川書店側に請われ、角川書店の社長も兼務することになった。メディアワークスもまた、1999年に主婦の友社との提携を解消して角川ホールディングス傘下となる。メディアワークスは電撃小説大賞(当初は電撃ゲーム小説大賞、ゲームシナリオを募集する意味合いが強かった)を1994年より開始し、1996年の川上稔、1997年の上遠野浩平橋本紡といった受賞者が現れた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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