オランダ黄金時代にその隆盛を極め、このときにヨーロッパの多くの学者が、ネーデルラント連邦共和国(当時)の自由な学術的風土とライデン大学の世界的評価を理由にライデンを訪れた。この間、同大学は、ルネ・デカルト、レンブラント、フーゴー・グローティウス、バールーフ・デ・スピノザ、ポール=アンリ・ティリ・ドルバックといった人物の活動の拠点となった。地球の年齢を推定した地質学者ジェームズ・ハットンも1749年に、医学校で学び、医学の学位を取得している[1]。
ライデン大学には、現職オランダ首相マルク・ルッテを含む10人のオランダ首脳、また、第2代アメリカ合衆国大統領ジョン・クインシー・アダムズ、北大西洋条約機構事務総長、国際司法裁判所所長などの国際政治・司法のリーダーが所属していた。また、16人のノーベル賞受賞者が、学生または教授として所属している(アルバート・アインシュタイン、エンリコ・フェルミなど)。
6学部・50を越える学科・150以上のコースを有する同学は国際的にも高く評価されており、上海交通大学による世界研究大学ランキングでは77位(2014年)、『Times Higher Education』誌の世界大学ランキングでは64位(2015年)にランクされている[2]。分野別では人文学系が強く、同『Times Higher Education』のArts and Humanitiesでは17位(非英語圏では世界トップ)にランクされている[3]。特に、行政学部(Institute of Public Administration)は同分野では世界的に有名で、大学の研究力に基づく2022 Global Ranking of Academic Subjectsでは世界で第3位にランクされている。[4]40以上の国内・国際研究施設を保有し、エウロペウム(Europaeum)、コインブラ・グループ、ヨーロッパ研究大学連盟などの大学連盟に加盟している。
日本との関わりは深く、シーボルトが同大学で研究していたため、大学やその他付属の機関に彼が日本から持ち帰ったものが所蔵されている。また、世界で最初に日本学科が設置(1855年)されたのはこのライデン大学であり[5]、ヨハン・ヨーゼフ・ホフマンが初代日本語教授を務めた。現在は小和田恆国際司法裁判所判事が名誉教授として所属している[6]。西周はオランダ留学中にフリーメイソンに入会しているが、その署名文書がライデン大学に現存している。
教員詳細は「Category:ライデン大学の教員」を参照
村岡崇光
ギャラリー
関連項目
ライデン瓶 - 平賀源内が復元したことで知られるエレキテルに用いられている、摩擦で生じた静電気を貯めるライデン瓶の名称は、1746年に教授の地位にあったピーテル・ファン・ミュッセンブルークによって作成された事に由来する。
Homunculus loxodontus - ライデン大学のために作られた彫刻
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 低地地方(ネーデルラント)最古の大学は1425年設立のルーヴェン・カトリック大学であるが、これは現在ではベルギー領内に所在する。