ライオン
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アンゴラウガンダエチオピアカメルーンケニアコンゴ民主共和国ザンビアジンバブエスーダンエスワティニ(旧スワジランド)、セネガルソマリアタンザニアチャド中央アフリカ共和国ナイジェリアナミビアニジェールブルキナファソベナンボツワナマラウイ南アフリカ共和国南スーダンモザンビークに分布[3]

ガーナギニアギニアビサウコートジボワールトーゴマリルワンダでは絶滅したと考えられる[3]アフガニスタンアルジェリアイラクイランエジプトエリトリアガボンガンビアクウェートコンゴ共和国サウジアラビアシエラレオネジブチシリアチュニジアトルコパキスタンブルンジモーリタニアモロッコ西サハラ含む)、ヨルダンリビアレソトレバノンでは絶滅[3]

模式標本の産地(模式産地)は単にアフリカとされていたが、バーバリ地方の沿岸部コンスタンティーヌアルジェリア)とする説もある[4]壁画などから15,000年前にはヨーロッパ広域にも分布し、5,000年前には少なくともギリシアには分布していたと考えられている[9]
生息地

アフリカでは、アカシアの木がまばらに生えて影ができているサバンナ草原地帯でライオンたちを見ることができる[17]インドでの生息地は乾燥したサバンナか、さらに乾いた落葉樹林のなかである[18]ヘロドトスの記すところによれば、ライオンは紀元前480年頃にはギリシアでよく知られる動物となった。ペルシアの王クセルクセス1世が国中を練り歩いているなか、そのラクダの積荷をライオンが襲ったことが記されている。アリストテレス紀元前300年にはもう彼らが貴重な動物だと考えていて、その後400年ほどして彼の地でのライオンは絶滅している[19]。亜種インドライオン10世紀頃まではヨーロッパの辺境であるコーカサス地方にもいたと考えられている[20]

パレスチナに由来する種も中世には姿を消した。アジアのほとんどの地域でも、猟銃が簡単に手に入る18世紀頃になるとライオンの姿は見られなくなった。19世紀の終わりから20世紀初めにかけて、北アフリカおよび東南アジアでも絶滅している。トルコおよびインド北部のほぼ全域も同様である[21]。アジアで最後にライオンが確認されたのは1941年イランである[要校閲]が、3年後にはカールーン川の岸辺で死骸となって発見された。その後、イランでは信頼できるレポートは送られていない[22]。最後に生き残った亜種インドライオンはインド北部のギルの森周辺でみることができる[23]。そこはグジャラート州に属する、ほとんどが森に覆われた1412平方キロメートルの土地であり、300頭ほどのライオンたちの聖地となっていて、その数はゆっくりと増えているという報告もある[24]
形態

頭胴長(体長)オス170 - 250センチメートル、メス140 - 175センチメートル[4]。尾長オス90 - 105センチメートル、メス70 - 100センチメートル[8]。肩高オス123センチメートル、メス107センチメートル[4]。体重オス150 - 225キログラム、メス120 - 182キログラム[4]。オスはケニア山の近くで体重272キログラムの記録もある[4]。頭部は太くて短く、丸みを帯びる[9]。背面の毛衣は黄褐色や赤褐色、腹面や四肢内側の毛衣は白い[6][9]耳介背面は黒い体毛で被われる[9]。尾の先端には房状に体毛が伸長し、色彩は暗褐色や黒[6]

出産直後の幼獣の体重は1 - 2キログラム[8]。幼獣には暗色斑が入るが、成長に伴い消失する[6][9]

オスの成獣は頭部から頸部にかけて、たてがみが発達する[6]。野生下では南アフリカ共和国の南部および東部で、標高1,000メートル以上の環境に生息する個体群でたてがみが発達する傾向がある[5]。一方でケニアからモザンビーク北部にかけてやサヘル地域などの暑い地域に生息する個体群ではたてがみはあまり発達せず、たてがみがない個体もみられる[5]。飼育個体でも北半球で冬季が寒冷な地方では、たてがみが発達する傾向がある[5]。強いオスはテストステロンの分泌が多く、それにより、たてがみの色が濃くなる[25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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