ライオンのごきげんよう
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番組終了後は、枠拡大後の『バイキング』→『ポップUP!』→『ぽかぽか』の1コーナーや、後継番組として新しく設けられたライオンの一社提供枠『ライオンのグータッチ』、『ライオンのミライモンスター』に出演している。「ライオンのいただきます#ライオンちゃん」も参照

前身番組『いただきます』ではスタジオアルタからの生放送であったが、当番組では撮って出し形式であった。2014年3月までは毎週水曜日にお台場のフジテレビ本社スタジオ(1997年3月のフジテレビお台場移転前は東京テレビセンター浜町スタジオで収録)で一週間分の収録(観覧方法は公式サイトに掲載)が行われていた。

2014年3月31日から12月末までは、フジテレビ本社V3スタジオから[1]毎週月曜日の13時より月曜日放送分を生放送し、以後火曜日 - 金曜日の放送分を収録する方式となった。『いただきますII』以来23年3ヶ月ぶりにこの枠の生放送が復活した[2]。2015年以降は再び全曜日収録となっていた(収録は毎週火曜日)。

「サイコロトーク」は長らく毎回3組のゲストが出演し、3組のゲストのうち1組が3日間に渡って出演するシステムであった。ゲストは1回に1人(1組)ずつ交代していき、1人(1組)につき都合3回出演する。木曜・金曜に登場したゲストは次の週に繰り越して出演する(2週分の収録に参加する必要がある)。基本的に1日おきにゲストが男女交互に登場する[注 2]。収録は月曜日 - 水曜日放送分が第1部、木曜日 - 金曜日放送分が第2部の2部構成。1部と2部では観客の総入れ替えを行っている(このパターンとは異なる時期あり)。なおこの流れとは別に「○○トリオフェア(後述)」など特別企画を放送することがある。

また、年1 - 2回、地方のホールにて公開録画[注 3]を行っていた。

当初はサイコロはなく、事前取材を基にあらかじめ決められた3つのテーマにより話をしてもらうコーナーと、一週間同じゲストに出てもらう歌のコーナーがあった。スタジオに観客はなく、台本で決められた進行・台詞で収録が行われていた。更に2つ目のテーマはゲストの思い出の曲で、曲名をさわやかで落ち着いたBGM(サウンドファクトリーのフリーBGMを使用)とともにダジャレで表現(例:「波止場」であったら、「鳩」が「いないいないばあ」をする「鳩ばあ」と表現するオブジェ。また使われたオブジェは、視聴者からの強い要望で視聴者プレゼントとなった)、それを小堺が当てるコーナーがあった。第1回のゲストは八千草薫と、歌のコーナーは美川憲一であった。また、裏番組の出演者やスポンサーの関係上、花王P&GCM出演者などは出演できなかった。

「サイコロトーク」が登場したのは開始から8ヶ月後からであった。収録番組でありながら生放送のようなハプニング性を採り入れるべく、放送作家の鶴間政行が発案し[3]、当時構成作家の一人であった高平哲郎が提案した企画がサイコロトークである。このサイコロトークを「夏休み特別企画」として同年7月29日放送から8月2日放送まで1週間の間に放送したところ視聴者から好評だったため、同年9月9日放送分からレギュラー化、さらに『いただきます』同様、スタジオに観客を入れる形式に戻し、番組のオープニングテーマも東京パノラママンボボーイズの『マンボのビート』へ変更され2002年3月まで10年半の長期にわたって使用された。サイコロトークの最初(夏休み特別企画時)のゲストは結城貢早見優佐野量子(同年7月29日)。レギュラー化後初日ゲストはマルシア松尾伴内高見恭子(同年9月9日)。1993年4月29日(みどりの日)には、番組歴代最高となる視聴率22.2%を記録した[4]

2014年3月31日の放送回から[5]、各曜日のオープニング企画を刷新。内容は「お台場花だより」(花田よりみち)、「有名人! 意外なトコロライブSHOW」(ものまね芸人軍団)、「思い出ソングショー」(阿佐ヶ谷姉妹)、「あなたの知らない本当の自分?エニアグラムで性格診断?」(ティム・マクリーン)、「賢女の法則」 (黒川伊保子[6]

2014年10月6日の放送回から12月末にかけて、前番組の『いただきます』から数えて30周年を迎えたことを記念し、「お昼の1時で30年!」と題して12月までの3か月間は特別企画として放送。「3人のゲストが1人ずつ入れ替わっていく」のではなく、特定の共通性のある2 - 3組のゲストが登場する形式となった(ゲストが1組だったり、2日連続の場合もあった)。サイコロの出目もその日のゲストに合わせた内容となった。2015年以降も日替わりゲスト制は継続(同時に月曜日の生放送を終了)され、24年間続いたゲスト入れ替え制は廃止された[注 4]

2015年4月20日の放送回からは、番組初となるアシスタント(兼レポーター)として田淵裕章(フジテレビアナウンサー)を起用。オープニングナレーションを務めたほか、スタジオで企画コーナーの進行を行い小堺を補佐した(5月18日 - 22日の1週間だけ、ハワイに行ったため、先輩アナウンサーの牧原俊幸がアシスタントを務めた)。

2000年から10月の第2月曜日(体育の日)の『出雲駅伝』中継[注 5]の際は放送休止となる[注 6]。また、大事件・大事故・地震などの災害や関心ごとが高い会見が発生した際にはFNN報道特別番組が編成され放送休止となる。その場合、翌日以降の通常時間帯での放送に支障をきたさないように翌日未明(当日深夜)に振替放送している[7](1991年1月 - 1994年3月まではFNN NEWSCOM&プロ野球ニュースの後ステブレ接続、1994年4月 - 2003年3月まではニュースJAPANの後ステブレ接続、2003年4月 - 2014年3月まではニュースJAPAN&感動ファクトリー すぽると!の後ステブレ接続、2014年4月から2015年3月までは月曜 - 木曜放送分のみ第8地区エリア1とエリア2のつなぎ番組扱い(金曜放送分はニュースJAPAN&すぽると!の後ステブレ接続)だったが2015年4月 - 最終回まではあしたのニュース&すぽると!の後ステブレ接続)[注 7]。ただし、2011年3月14日から18日は11日の放送後に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に関する『FNNスピーク』拡大版を放送したため休止となり、栃木からの公開収録の回は『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」のつながりの関係で一時お蔵入りとなったが、3月21日から3月25日にかけて放送された。

放送時間は開始から一貫して13:00 - 13:30であったが、2015年3月30日よりフジテレビが午後の新ワイドショー『直撃LIVE グッディ!』を立ち上げ、開始時刻を13:55とするため、『バイキング』を同年3月27日までより5分早終了とし、本番組および『東海テレビ制作昼の帯ドラマ』の放送時間がそれぞれ5分繰り上げられる[8][9][10][11][12]。これにより、1964年10月開始の『ライオン奥様劇場』以来続いたフジテレビ昼のライオン提供帯番組は、50年半で初めてフライングスタートとなった。
記念放送回

1995年9月12日放送1000回、1999年8月25日に放送2000回、2003年8月4日に放送3000回、2007年7月2日に放送4000回、2011年6月16日に放送5000回、2013年8月20日に5555回、2015年5月22日に6000回を達成した。

2011年1月に放送20周年、2014年10月で『ライオンのいただきます』放送開始から13:00開始の番組を司会小堺一機が担当してから通算で30周年を迎えた。


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