1993年、12歳のゴズリングはモントリオールに向かい、ディズニー・チャンネルの『ミッキーマウス・クラブ』リバイバルに向けた公開オーディションに参加した[26]。ゴズリングはマウスケティアー(英: Mouseketeer)として2年間の契約を行い、フロリダ州オーランドへ移住した[31]。番組では他の子の方が才能があると考えられ、なかなか出演機会に恵まれなかったが[32]、自身では人生最良の2年間だったと振り返っている[31]。この時の共演者には、ジャスティン・ティンバーレイク、ブリトニー・スピアーズ、クリスティーナ・アギレラ、ケリー・ラッセルなどがいる[6]。ティンバーレイクとは特に親しい友人となり、番組の2年目には、6ヶ月同居生活を送っていた。また、母親がカナダへ季節労働に帰った後は、ティンバーレイクの母がゴズリングの法的後見人となった[33]。1995年にこの番組が打ち切られた後ゴズリングはカナダに戻り、『アー・ユー・アフレイド・オブ・ザ・ダーク?』(1995年)や『ミステリー・グースバンプス』(1996年)などの子ども向け娯楽番組に出演し[34][35]、1997年から1998年にかけて放送された『ブレイカー・ハイ
(英語版)』では主役のショーン・ハンロン(英: Sean Hanlon)を演じた[36]。18歳の時、ゴズリングはニュージーランドへ向かい、Fox Kidsの冒険シリーズ『ヤング・ヘラクレス(英語版)』(1998年 - 1999年)でタイトルロールを演じた[34]。2002年に収録された『ザ・バンクーバー・サン(英語版)』のインタビューでは、当初番組への出演を楽しんでいたものの、シリーズを必要以上に気にするようになり、仕事が全く楽しくなくなってしまったと語っている。彼はキャラクターと「語ったり」造形を探ったりすることにより時間をかけたり、様々な役柄を演じたりしたいと考えるようになり、テレビ番組の仕事はこれ以上引き受けず、映画俳優になることを決めた[31]。19歳の時、ゴズリングは「真面目な演技」(英: "serious acting")へ軸足を移すことを決意した。エージェントに辞められ、子ども向けテレビ番組のイメージにも苦しんだため、当初は安定した仕事を得られなかった[37]。アメフトを題材にしたドラマ映画『タイタンズを忘れない』で助演した後、ゴズリングは2001年の映画『ザ・ビリーヴァー
(英語版)』で、若いユダヤ人のネオナチ役として主演した。監督のヘンリー・ビーン(英語版)はゴズリングを配役したことについて、モルモン教徒として育てられた経験が、ユダヤ教徒の孤立を理解する助けになると考えたためと明かしている[38]。『ロサンゼルス・タイムズ』紙のケヴィン・トーマスは、「興奮させ、恐ろしいほど圧倒的な」演技だと賞賛したが[39]、『バラエティ』誌のトッド・マッカーシーは、ゴズリングの演技は「極めて頑強で、これ以上うまく演じることはほとんどできないだろう」と評した[40]。映画はサンダンス映画祭でグランプリを獲得し[41]、後にゴズリングは「今のキャリアを包装して自分にプレゼントしてくれたような映画」だったと語っている[42]。