ライアン・ゴズリング
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ゴズリングはグラッドストーン・パブリック・スクール(英: Gladstone Public School)[17]、コーンウォール高等職業学校 (Cornwall Collegiate and Vocational School) 、レスター・B・ピアソン高校(英語版)に通った[18]。子どもの頃、ゴズリングは『ディック・トレイシー(英語版)』を観て俳優になろうと志した[19]。ゴズリングはアクション映画『ランボー』に強く影響され、ステーキナイフを学校に持ち込んで、休み時間に他の子どもたちへ投げ付けたこともある[6][注釈 1]。この頃観ていた映画はいわゆる大作がほとんどで、自主映画や芸術映画の類は無かったという[6]。彼は子どもでいることが「大嫌い」で[12][20][6]、小学校ではいじめに遭っており[21]、「14歳か15歳になるまで」友人がひとりもできなかった[22][23]。彼は失読症[24]注意欠陥・多動性障害 (ADHD) との診断を受け、メチルフェニデート(リタリン)を処方され特殊学級に入れられたこともあった[25]。この後、彼は仕事を辞めた母親から、1年間ホームスクーリングを受けた[6][25]。ゴズリングは、この経験で「絶対に自分を見失ったりしないという自主性のような感覚」(英: "a sense of autonomy that I've never really lost")を得られたと語っている[12]。彼は、パフォーマーとして活動していた姉に誘われ、幼少期から大勢の前で演技を行っていた[26]。ゴズリング姉弟は結婚式で一緒に歌ったこともあるほか、彼はおじの組んだエルヴィス・プレスリートリビュートバンド「エルヴィス・ペリー」(英: Elvis Perry)として演奏したり[6][27]、地元のバレエ団に在籍したりしていた[28]。演技はゴズリングにとって周りから賞賛される唯一の事柄で、これを通じて彼は自信を付けた[23]。また、子どもの頃、カナダのアクセントを「タフ」(英: "tough")と感じられなかったため、ゴズリングは特異なアクセントを使って喋るようになった[29]。この時、彼はマーロン・ブランドの喋り方を参考にした[30]。ゴズリングは17歳で高校を中退し、演技の仕事へ打ち込むようになった[31]
演技キャリア
1993年 - 1999年:子役として

1993年、12歳のゴズリングはモントリオールに向かい、ディズニー・チャンネルの『ミッキーマウス・クラブ』リバイバルに向けた公開オーディションに参加した[26]。ゴズリングはマウスケティアー(英: Mouseketeer)として2年間の契約を行い、フロリダ州オーランドへ移住した[31]。番組では他の子の方が才能があると考えられ、なかなか出演機会に恵まれなかったが[32]、自身では人生最良の2年間だったと振り返っている[31]。この時の共演者には、ジャスティン・ティンバーレイクブリトニー・スピアーズクリスティーナ・アギレラケリー・ラッセルなどがいる[6]。ティンバーレイクとは特に親しい友人となり、番組の2年目には、6ヶ月同居生活を送っていた。また、母親がカナダへ季節労働に帰った後は、ティンバーレイクの母がゴズリングの法的後見人となった[33]。1995年にこの番組が打ち切られた後ゴズリングはカナダに戻り、『アー・ユー・アフレイド・オブ・ザ・ダーク?』(1995年)や『ミステリー・グースバンプス』(1996年)などの子ども向け娯楽番組に出演し[34][35]、1997年から1998年にかけて放送された『ブレイカー・ハイ(英語版)』では主役のショーン・ハンロン(英: Sean Hanlon)を演じた[36]。18歳の時、ゴズリングはニュージーランドへ向かい、Fox Kidsの冒険シリーズ『ヤング・ヘラクレス(英語版)』(1998年 - 1999年)でタイトルロールを演じた[34]。2002年に収録された『ザ・バンクーバー・サン(英語版)』のインタビューでは、当初番組への出演を楽しんでいたものの、シリーズを必要以上に気にするようになり、仕事が全く楽しくなくなってしまったと語っている。彼はキャラクターと「語ったり」造形を探ったりすることにより時間をかけたり、様々な役柄を演じたりしたいと考えるようになり、テレビ番組の仕事はこれ以上引き受けず、映画俳優になることを決めた[31]
2000年 - 2003年:自主映画への出演

19歳の時、ゴズリングは「真面目な演技」(英: "serious acting")へ軸足を移すことを決意した。エージェントに辞められ、子ども向けテレビ番組のイメージにも苦しんだため、当初は安定した仕事を得られなかった[37]アメフトを題材にしたドラマ映画『タイタンズを忘れない』で助演した後、ゴズリングは2001年の映画『ザ・ビリーヴァー(英語版)』で、若いユダヤ人ネオナチ役として主演した。監督のヘンリー・ビーン(英語版)はゴズリングを配役したことについて、モルモン教徒として育てられた経験が、ユダヤ教徒の孤立を理解する助けになると考えたためと明かしている[38]。『ロサンゼルス・タイムズ』紙のケヴィン・トーマスは、「興奮させ、恐ろしいほど圧倒的な」演技だと賞賛したが[39]、『バラエティ』誌のトッド・マッカーシーは、ゴズリングの演技は「極めて頑強で、これ以上うまく演じることはほとんどできないだろう」と評した[40]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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