ライアン・ゴズリング
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父トーマスはイングランド系スコットランド系フランス系カナダ人のルーツを持っており、ゴズリングの高祖父に当たるジョージ・エドワード・ゴズリング(英: George Edward Gosling)は、イングランド・ロンドンパディントン出身だった[9][10]。ゴズリングの両親は末日聖徒イエス・キリスト教会、いわゆるモルモン教の信徒で[11]、信仰は両親の生涯に多面的な影響を与えていると語っている[12]。一方で、モルモン教徒として育ったことの影響は認めつつも、ゴズリング自身は「自分を[モルモン教徒と]考えることはできない」と発言している[11]。ゴズリングは父親の仕事の関係で引っ越しを繰り返しており[5]、オンタリオ州のコーンウォール[13]バーリントンで暮らした経験がある[14]。両親は彼が13歳の時に離婚し[15]、ゴズリングは姉マンディ(英: Mandi)と共に母親に引き取られ[7]、他に女性の家族しかいない状況は彼に「女の子のように物事を考えさせた」と回想している[16]

ゴズリングはグラッドストーン・パブリック・スクール(英: Gladstone Public School)[17]、コーンウォール高等職業学校 (Cornwall Collegiate and Vocational School) 、レスター・B・ピアソン高校(英語版)に通った[18]。子どもの頃、ゴズリングは『ディック・トレイシー(英語版)』を観て俳優になろうと志した[19]。ゴズリングはアクション映画『ランボー』に強く影響され、ステーキナイフを学校に持ち込んで、休み時間に他の子どもたちへ投げ付けたこともある[6][注釈 1]。この頃観ていた映画はいわゆる大作がほとんどで、自主映画や芸術映画の類は無かったという[6]。彼は子どもでいることが「大嫌い」で[12][20][6]、小学校ではいじめに遭っており[21]、「14歳か15歳になるまで」友人がひとりもできなかった[22][23]。彼は失読症[24]注意欠陥・多動性障害 (ADHD) との診断を受け、メチルフェニデート(リタリン)を処方され特殊学級に入れられたこともあった[25]。この後、彼は仕事を辞めた母親から、1年間ホームスクーリングを受けた[6][25]。ゴズリングは、この経験で「絶対に自分を見失ったりしないという自主性のような感覚」(英: "a sense of autonomy that I've never really lost")を得られたと語っている[12]。彼は、パフォーマーとして活動していた姉に誘われ、幼少期から大勢の前で演技を行っていた[26]。ゴズリング姉弟は結婚式で一緒に歌ったこともあるほか、彼はおじの組んだエルヴィス・プレスリートリビュートバンド「エルヴィス・ペリー」(英: Elvis Perry)として演奏したり[6][27]、地元のバレエ団に在籍したりしていた[28]


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