ヨーロッパ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

ヨーロッパは、ユーラシア大陸西の1/5を占める陸地であり[26]、アジアとの地形的に明瞭な区分がない[10]

ヨーロッパの主軸山系は西からピレネー山脈アルプス山脈カルパティア山脈ディナル・アルプス山脈がある。これらは急峻ではあるが、古代からかなり高地にまで集落がつくられ交易が行われていたように、アジアのヒマラヤ山脈のような人跡未踏の地にはならず、山脈の両側にある程度の分岐を施しながらも断絶させるようなものではなかった[49]

河川は、ヨーロッパ大陸が小さいため、アジアやアフリカ・アメリカのような大河が無い。アルプス山脈北側は北ヨーロッパ平野などの比較的広い平野をゆるやかな川が流れる。これらの水量は一年を通して変化が少なく、また分水嶺が低い事もあって運河建設が容易な特徴も持っており、水運を発達させやすい性質を持っている。例えば国際河川であるライン川は1000トンクラスの船がスイスまで曳航可能である[50]。これに対し、地中海に注ぐヨーロッパの河川は、源流となる山脈が海に近いため短く、かつ水量がポー川を除きおしなべて少ない[50]

人文地理的な区分[50]をヨーロッパに施すと、3つの領域に分けることができる[51]。アフリカを含めた地中海沿岸は、ナイル川流域[50]やイベリア半島の一部を除き、およそ内陸と呼べる平野部分が狭い。そのため、各文明は海岸前沿岸部に形成され、そして発展は内陸よりも地中海へ漕ぎ出す志向を強めた[51]。これに対し、アルプス北部の西ヨーロッパには水運に適した河川が多く見られる[52]。そのため、この地域では港湾都市が海岸線よりも河川流域で発達し、ケルンブレーメンハンブルクそしてロンドンもこの例に当たる。海岸都市はオランダなど16世紀以降にしか見られない[50]。13世紀以降は開墾が盛んになり、河川地域や沼沢地の開墾が盛んになり、海岸線の開拓にも着手されるようになった[52]。残る東ヨーロッパは東ヨーロッパ平原の平坦で単調な地形が広がり、中央アジアの草原地帯へと続いている。そのため東方からの異民族侵入に弱く、結果的に何度も占拠を許した。ヨーロッパの防衛線は、事実上西ヨーロッパの東端となり、東ヨーロッパは都市化が遅れた[53]
ヨーロッパの国々詳細は「ヨーロッパの主権国家及び属領の一覧」を参照

国名漢字表記[注釈 10]原語(公用語)表記首都
アルバニア共和国阿爾巴尼亜Shqiperiaティラナ
アンドラ公国安道爾Andorraアンドラ・ラ・ベリャ
オーストリア共和国墺太利/奥地利Osterreichウィーン
ベラルーシ共和国白露西亜/白俄羅斯Беларусь/Белоруссияミンスク
ベルギー王国白耳義/比利時Belgie/Belgique/Belgienブリュッセル
ボスニア・ヘルツェゴビナ波士尼亜赫塞哥維納Bosna i Hercegovinaサラエヴォ
ブルガリア共和国勃牙利/保加利亜Българияソフィア
クロアチア共和国克羅埃西亜/克羅地亜Hrvatskaザグレブ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:174 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef