このような対比はアイスキュロスの『ペルシア人』にもあり、ペルシア人の合唱隊がクセルクセス1世の母アトッサを神の妃であり母と讃えるのに対し、決戦に向かうギリシア人が「祖国に自由を」と叫ぶ姿を描写した[17]。古代ギリシアでは、このように隷属を特徴とするアジアとは異なる社会形態を持つ地として、自らの社会を区分する概念を持っていた[17]。
以下は「ヨーロッパ史」を参照 古くからヨーロッパ文明の源泉として、ギリシャ文明とローマ文明の存在が語られ、ヨーロッパ文明は、このいわゆる「地中海文明」の直系の子孫だとされてきた[47]。ギリシャ文明から西ヨーロッパ文明という直線的系譜があると当然のように考えられ、ヨーロッパ文明は、ギリシャ・ローマの地中海文明に、ユダヤ教の子孫であるキリスト教が合体して形成された、「ヘレニズムとヘブライズムの統合としてのヨーロッパ」いうイメージが一般に流布してきた[47]。 しかし、このような「3000年にわたる『ヨーロッパ文明』の連続性のイメージ」は、真実とは言い難く、西ヨーロッパ文明とギリシャ・ローマ文明の直接的連続性は存在しない[48]。ギリシャの地中海文明をそのまま連続的に受け継いだのは、5世紀以降のビザンツ帝国、8世紀以降のイスラーム世界であり、むしろ西ヨーロッパ世界は、イスラーム世界の勃興で地中海文明から切り離されることで成立した[48]。ギリシャ・ローマ文明はイスラーム文明を経由し、そこでの独自の発展を含めて12世紀を中心にヨーロッパにもたらされており、西ヨーロッパ文明が基盤を確立したのは12世紀以降である[48]。「ヨーロッパ文明の源泉としてのイスラーム文明」は長い間無視され、ヨーロッパ中心主義の時代には特に無視・軽視されてきた[48]。近年では(2002年時点)、ヨーロッパがイスラーム文明を取り入れて、それを吸収することでどのように自らの文明を築いていったのか、経緯が明らかになりつつある[47]。 ギリシャ・ローマ文明という外部的要因だけでなく、ゲルマン的地盤に注目すべきだと力説する人々もおり、最近ではケルト的地盤が言及されることも増えている[47]。
ヨーロッパ文明の系譜
地理ヨーロッパと周辺の高低差を表した地図。タンメルコスキ川
ヨーロッパは、ユーラシア大陸西の1/5を占める陸地であり[26]、アジアとの地形的に明瞭な区分がない[10]。
ヨーロッパの主軸山系は西からピレネー山脈、アルプス山脈、カルパティア山脈・ディナル・アルプス山脈がある。これらは急峻ではあるが、古代からかなり高地にまで集落がつくられ交易が行われていたように、アジアのヒマラヤ山脈のような人跡未踏の地にはならず、山脈の両側にある程度の分岐を施しながらも断絶させるようなものではなかった[49]。
河川は、ヨーロッパ大陸が小さいため、アジアやアフリカ・アメリカのような大河が無い。アルプス山脈北側は北ヨーロッパ平野などの比較的広い平野をゆるやかな川が流れる。これらの水量は一年を通して変化が少なく、また分水嶺が低い事もあって運河建設が容易な特徴も持っており、水運を発達させやすい性質を持っている。