ヨーロッパ
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地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈及びコーカサス山脈分水嶺ウラル川カスピ海黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡が、アジアと区分される東の境界となる[10][11]

面積から見るとヨーロッパ州は世界で2番目に小さな大州であり、1018万km2は地球表面積の2%、陸地に限れば6.8%を占める。アジアに跨る領土を持つロシアは、ヨーロッパ50か国の中で面積および人口第1位の国家である。対照的に最も小さな国家はバチカン市国である。総人口はアジア・アフリカに次ぐ7億3300万である。これは地球総人口の11%である[12]

ヨーロッパ、特に古代ギリシア西洋文明発祥の地である[13]。これは、16世紀以降の植民地主義の始まりとともに世界中に拡散し、支配的な役割を果たした。16世紀から20世紀の間、ヨーロッパの国々はアメリカ州アフリカオセアニア中東アジアの大部分を支配下に置いた。2度の世界大戦はヨーロッパを戦火で覆い、20世紀中頃の西ヨーロッパによる世界への影響力減衰に結びつき、その地位をアメリカ合衆国ソビエト連邦に奪われる結果となった[14](のちに、ソ連崩壊に伴ってアメリカ合衆国がこの地位へ再び戻った状態となり、現在まで唯一の超大国となっている)。
定義復元されたヘロドトスの世界地図。1472年に作成された中世のTO図。世界を3つの大陸として描いている。エウローパ・レーギーナを模した地図。『宇宙誌』から。ここでは、ブリテン諸島スカンディナヴィア半島がヨーロッパとして含まれていない。
定義史

用語「ヨーロッパ」は、歴史が展開する中で使われ方が様々に発展[15][16]。地理用語としてのEur?p?の記録に残る最古の使用法は、エーゲ海の南海岸を指したもので、デロス島のアポローンに捧げられたホメーロス風讃歌にある。初めてヨーロッパとアジアを区分した地図はミレトスのヘカタイオスが作成した[17]ギリシアの歴史家ヘロドトスは著書『歴史』第4章にて[17]、世界がヨーロッパ・アジア・リビアの3箇所に分けられ、その境界はナイル川リオニ川であることを示唆した。彼はさらに、ヨーロッパとアジアの境界はリオニ川ではなくドン川とする考えもあると述べている[18]。1世紀の地理学者ストラボンも東側の境をドン川と考えた[19]。フラヴィウス家(英語版)の人物の著述や『ヨベル書』では、各大陸をノアから3人の息子たちへそれぞれ与えられたものと記している。そこでは、ヨーロッパはリビアとの境となるジブラルタル海峡ヘラクレスの柱から、アジアとの境となるドン川まで広がる地域としている[20]

ヨーロッパの文化に言及すると、まず大きく東西2つに分けられ、「西ヨーロッパ」はラテン語とキリスト教世界(英語版)が結合し8世紀に形成された地域となり、ゲルマン民族の伝統とラテン系キリスト教文化の合流と表され、「東ヨーロッパ」は「ビザンティン帝国」となる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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