ヨージェフ・アティッラ
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14歳の時に母は死去[6]。高校在学中、17歳で初の詩集『A szepseg koldusa』を発表する。高校卒業後、南ハンガリーのセゲド市のフェレンツ・ヨージェフ大学[7]に入学[8]。1925年に2作目の詩集『Nem en kialtok』を発表するが、一部の詩の内容から大学を除籍される。その後、ウィーンに行き、それから1926年から1927年までパリに滞在、ソルボンヌで学ぶ。フランス文学を耽読し、特にフランソワ・ヴィヨンの詩に惹かれ、ハンガリー語に翻訳した。また、ヘーゲルやマルクスを読み、影響を受ける。ハンガリーに帰国後、3作目の詩集『Nincsen apam se anyam』を発表した。1930年、ハンガリー共産党に入党するが、1934年に党を除籍される。文芸誌『Szep Szo』を旗揚げするが、いつしか精神疾患にかかり、病院で精神科医から治療を受ける。1936年に最後の詩集『Nagyon faj』を発表。1937年、ハンガリーのバラトン湖近くの村バラトンサールソーで鉄道の線路上に飛び込み自殺。
邦訳
『ヨージェフ・アティッラ詩集』、(原田清美訳、未知谷、2015年)
出典[脚注の使い方]^ “ ⇒マジャル・アヴァル同系説について”. 2017年6月17日閲覧。
^ Feregyhaz [?fe??re?h???z]。現在ルーマニア領。ドイツ語名 Firiteas、ルーマニア語名 Firiteaz。
^ ヨージェフ・アティッラは彼の詩の中で父親は「半分ルーマニア人、もしかすると完全にルーマニア人かもしれない」と記述しているが、真相は彼も知らなかったと思われる。父親の父親(ヨージェフ・アティッラの祖父)は羊の乳搾りをしていたが、牧童は通常ルーマニア人が就く職業であった。
^ ハンガリー大平原のハンガリー人達はかつてハンガリーに避難してきたクマン人(ハンガリー語ではクン人、日本では一般的にキプチャク人)の末裔であると信じている者が多い。
^ Szabadszallas [?s?b?tt?s???ll????]。実際の発音はサバッツァーラーシュ。
^ “ ⇒Jozsef Attila (1905-1937)”. 2016年8月12日閲覧。
^ トランシルヴァニアの中心都市のコロジュヴァール市に1581年にトランシルヴァニア公により創設されたイエズス会コレギウムが前身。現在のような総合大学としては1872年にコロジュヴァール大学として発足。1881年にコロジュヴァール・ハンガリー王立フェレンツ・ヨージェフ大学となるが、トリアノン条約でトランシルヴァニアがルーマニアに割譲されたため1919年にフェレンツ・ヨージェフ大学としてブダペストに移転し、さらに1921年にセゲド市に移転したもの。その後1940年に北トランシルヴァニアがハンガリーに返還されると大学の一部は再びコロジュヴァールに戻りハンガリー王立フェレンツ・ヨージェフ大学を名乗り、セゲドに残った大学はホルティ・ミクローシュ大学を名乗ることになった。1945年からセゲドに残った大学はセゲド大学となり、再びルーマニア領となったコロジュヴァールのハンガリー王立フェレンツ・ヨージェフ大学はルーマニア政府に接収されてルーマニア人用のバベシュ大学とハンガリー人用のボーヤイ大学に改組されたが、現在はバベシュ=ボーヤイ大学として存続している。ルーマニアではバベシュ=ボーヤイ大学は1581年設立のルーマニアで最も古い大学だとしているが、ハンガリー側はコロジュヴァール大学はセゲドに移転したもので、バベシュ=ボーヤイ大学はトランシルヴァニアがルーマニアに割譲された時に新設された大学で1581年の大学との継続性は全くないと主張している。セゲド大学は1962年にヨージェフ・アティッラ大学と改称された。2000年の大学の統合で再びセゲド大学となり、現在に至る。セント=ジェルジ・アルベルト博士は同大学在職時代にパプリカからビタミンCを抽出することに成功し、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
^ “ ⇒JOZSEF ATTILA”. 2016年8月12日閲覧。
外部リンクウィキメディア・コモンズには、ヨージェフ・アティッラに関連するカテゴリがあります。
⇒ヨージェフ・アティッラの墓
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