ヨハネ・パウロ2世_(ローマ教皇)
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福者に認定される基準である「奇跡」は、パーキンソン病患者であったフランスの修道女がヨハネ・パウロ2世の死後に祈りを捧げると病気が快方に向かっていったという事例を挙げ、これを「奇跡」と認定した[21]

列福に先立つ2011年4月29日、ヨハネ・パウロ2世の棺は墓から取り出されて列福式後に崇敬を受けた後、サン・ピエトロ大聖堂内のサン・セバスティアーノ礼拝堂の祭壇に再埋葬された。ここにはインノケンティウス11世の遺体が安置されていたが、4月8日に聖堂内の別の場所へ移葬されている。

2013年7月2日聖人になる条件である二つ目の「奇跡」が認定され(列福式当日の2011年5月1日、重病のコスタリカの女性がヨハネ・パウロ2世に祈り続け、回復した出来事が奇跡と認められた)[22]、3日後の7月5日にはフランシスコ教皇がこれを承認し、列聖が確定された。9月30日には、同時に列聖が決まったヨハネ23世とともに2014年4月27日に列聖式を執り行うことが発表され[23]、予定通り列聖式が執り行われた[24][22]。これにより死後9年25日での列聖となり、近年では最速の記録となった。列聖式にはベネディクト16世も共同司式者として出席し、現役・名誉・列聖対象者あわせて4人の教皇の揃い踏みとなった[22]
ヨハネ・パウロ2世の祈り

人間ひとりひとりと諸国の民の母マリアよ、私達をおびやかす悪の力に打ち勝てるようお助け下さい。
現代人の心にこれほど容易に根ざしてしまう悪、そのもたらす計り知れないもろもろの結果によって、すでに現代の人々のいのちを危険にさらし、未来への道を閉ざそうとしている悪から私達をお救い下さい。
飢餓と戦争、核戦争、計り知れない自己破壊、あらゆる戦争より、主よ、私達をお救い下さい。
あがないと救いの無限の力、神の慈愛の力が世界の歴史において、再び発揮されますように。
神の慈愛が悪をおしとどめ、人間の良心を正し、あなたの汚れなきみ心によって、希望の光が全ての人々に示されますように。」

主な著書

『サルヴィフィチ・ドローリスー苦しみのキリスト教的意味』内山恵介訳、
サンパウロ、1988年

『真の開発とはー人間不在の開発から人間尊重の発展へ』山田經三訳、カトリック中央協議会、1988年

『希望の扉を開く』曽野綾子三浦朱門共訳、同朋舎出版、1996年

『賜物と神秘ー教皇ヨハネ・パウロ二世自伝』斎田靖子訳、エンデルレ書店、1997年

『教皇ヨハネ・パウロ2世の詩』木鎌安雄訳、聖母の騎士社、2004年

『ヨハネ・パウロ二世 愛と勇気の言葉』中井俊已、PHP研究所、2005年

『立ちなさい さあ行こうー教皇ヨハネ・パウロ二世の自伝的回想』中野裕明訳、サンパウロ、2006年

その他

1981年、ポーランドの歴史を背景としたヨハネ・パウロ2世の
伝記映画『遠くから来た人』(ポーランド映画)が製作された[25]

1984年、青年カトリック信者の年次集会であるワールドユースデーを提唱。

1999年、アルバム「アバ・パーテル」でCDデビューした。

2000年、特別な節目となる大聖年を迎え、教皇大勅書(受肉の秘儀)で規定された教会巡礼の対象となった。

2003年3月、ヨハネ・パウロ2世名義で詩集『ローマの三幅対祭壇画』を刊行し、ポーランドで初版30万部がすぐに完売したほか、全世界でベストセラーになった。

2005年、ヨハネ・パウロ2世の半生を描いたイタリア・ポーランド合作のテレビ映画カロル 教皇になった男(KAROL - A man who became Pope)』が公開された。世界各国で19言語に翻訳され放映された(日本語版は公開されていない。2014年に「カロル日本語字幕版DVD」が製作された)[26][27]

2006年9月3日、パリのノートルダム大聖堂前の広場に、従来の「ノートルダム前庭」という名称に「ヨハネ・パウロ2世」の名称が功績を称えて追加された。パリでは著名人を地名に採用する場合、死去から5年待つのが慣例であるが、この名称追加は例外的である(大聖堂の裏の緑地は「ヨハネ23世小公園」と呼ばれている)。

2006年10月16日、ポーランドでヨハネ・パウロ2世の肖像を使用した50ズウォティの記念紙幣が発行された。

文化放送に自身の半生を元にした『わが選択』というラジオドラマ台本を投稿したことがある。惜しくも採用されなかったものの、現在では貴重な文化財として「日本脚本アーカイブズ」主催の展覧会に展示されている。

2011年5月、ローマ市内のテルミニ駅前にブロンズ像が設置された[28]

人物

教皇ヨハネ・パウロ2世は、その著作(『希望の扉を開く』同朋舎出版)で
仏教に対し極めて否定的な見解を明かしている。教皇によれば、仏教は無神論的体系にほかならず、その信徒は苦を本質とする世界に対し無関心を貫くことによってのみ救済されるのだという[29]

脚注[脚注の使い方]
注釈^ ローマ教皇。


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