初代教皇ペトロを除けば、31年7ヶ月教皇位にあったピウス9世に次いで、歴代2位の26年5ヶ月と2週間という長期間の在位であったが、晩年は暗殺未遂で受けた重傷の後遺症や、パーキンソン症候群など多くの肉体的な苦しみを受けた。
2005年2月からインフルエンザと喉頭炎による入退院を繰り返し体調が悪化していたが、同年3月31日以降感染症によって容体はさらに悪化した。しかし教皇は入院を拒み、住み慣れたバチカン宮殿の居室で療養することを選んだ。ヨハネ・パウロ2世の容態悪化のニュースを聞いた信徒たちがサン・ピエトロ広場に集まって祈りを捧げていると、教皇は「私はあなたたちと一緒にいる。ありがとう」と語った。
同年4月2日午後9時37分(日本時間:3日午前4時37分)、ヨハネ・パウロ2世は敗血性ショックにより84歳の生涯を閉じた。同年9月17日に最期の言葉が「父なる神の家に行かせてほしい」というポーランド語だったと報道された。 同年4月8日に行われたヨハネ・パウロ2世の葬儀
葬儀
葬儀にあたり、イスラム諸国を含めほとんどの国からは、国王・王太子や大統領など国家元首級の人物が参列したにもかかわらず、日本からは元外務大臣である川口順子内閣総理大臣補佐官(当時)と外務省の副局長が出席しただけであった[19]。詳細は「ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の葬儀に参列した要人の一覧(英語版)」を参照
コフィー・アナン 国連事務総長
アレクサンデル・クファシニェフスキ ポーランド大統領
レフ・ヴァウェンサ 元ポーランド大統領
カルロ・アツェリオ・チャンピ イタリア大統領