ヨット
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日本語で「ヨット」と言う場合は、こちらの意味で用いられていることがほとんどである[3]。この意味でも様々な目的の船体があり、レース用でヒールした場合に体重でバランスをとる必要がある軽量で俊敏な物から、優雅なクルージング用の強い横風でもヒールしにくい安定した物まで様々なものがある。

英語では、帆走ヨット (sailing yacht)、あるいは単に帆船 (sailboat) と呼ぶことが多い。ただし、これらの船艇を使ったレースは yacht race と呼ばれる。ヨットでの航海やヨット競技のことをセーリング(sailing)ともいう。これはヨットがセール(sail:帆)を使って進むからである。

現在、ヨットと分類される船舶は非常に多岐にわたっている。乗員数も一人乗りから10人以上まで様々であり、設備もラダー()、セール()、キール(竜骨)しかないものからキャビン、発動機を完備したものまである。発動機やキャビンのない小型のヨットを「ディンギー」、発動機やキャビンのある大型のヨットを「クルーザー」と呼び分けることがある。

外洋を長期間・長距離に渡って航行することが可能ながら、比較的小型で個人で運用可能であるため、冒険心のある人物による単独での大洋の横断、無寄港での世界一周などが行われている。
歴史

ヨットの原型は7世紀頃に発明されたアラブのダウ船である。これは追い風だけしか利用できなかったそれまでの帆船を大きく変え、向かい風でも斜め前方に進むことができる大発明であった。その後、その技術がヨーロッパにも伝わり、ヨットという名称が歴史に初めて登場するのは、14世紀のオランダとされている。当初は、その高速性や俊敏さから海賊を追跡したり、偵察などに用いられるために建造された三角帆を持つ風上にも進行可能な高速帆船で、jaght schip、略して“jaght”と呼ばれていた[注釈 1]。17世紀には金持ちの娯楽としてセーリングが大々的に流行するようになり、スペールヤハトと呼ばれる専用のプレジャーヨットが作られるようになった[4]

1660年イギリス王政復古に成功したチャールズ2世は、オランダより寄贈されたこの乗り物を好み、イギリスの水路事情に合わせ喫水やリーボードの廃止などの改良を施し、発音に基づいた英語として yacht と名前を改めた。これが現在のYachtの語源である。王とその弟ジェイムスは同種の船を12隻建造し、軍用や王室行事などに使用したため、イギリス貴族の間でもプレジャーヨットが流行した[4]。記録に残る最初のヨットレースは、1661年にチャールズ2世とジェイムスがグリニッジ - グレイヴズエンド間で行った競争である。

1720年には、記録に残っている最古のヨットクラブ「コーク・ウォーター・クラブ」がアイルランドに設立された。これは現在の「ロイヤル・コーク・ヨットクラブ」の祖である。以後、19世紀にかけてヨーロッパ、アメリカの王室や富裕層を中心にヨットを嗜む人が増え、各地にヨットクラブが設立された[4]。18世紀にもアイルランドとイングランドのクラブ同士でレースが行われる事があったが、19世紀になって大掛かりな国際ヨットレースが行われるようになった。

19世紀後半にはディンギーと呼ばれる小型艇のレースもも始まり、第一次世界大戦後に盛んになった。当初は参加者がそれぞれに設計したボートで競われていたが、1875年にイギリスで設立されたヨット競技協会(YRA)によって統一的なルールと6段階のクラス分けが制定された。1907年にYRAは国際ヨット競技連盟(IYRU)となり、国際的なレース規則とヨットのサイズなど仕様標準が定められた。また、19世紀末から20世紀にかけてヨットによる冒険航海が流行した。ジョシュア・スローカムは1895年から1898年の3年に渡って、ヨットによる単独世界一周を成し遂げた。今日でもこの種の冒険航海に挑戦するヨットマンは多い[4]

蒸気エンジン付きのヨットはイギリス人トマス・アシュトン・スミスによって19世紀半ばに初めて作られたが、蒸気エンジンは騒音が酷く扱いが難しいため普及しなかった。その後、19世紀末から富裕層の大型ヨットに装備されるようになり、20世紀にガソリンエンジン、ディーゼルエンジンが普及するにつれ、動力付きのヨットは一般人にも手が届くようになった[4]。第2次世界大戦以後、ヨットの素材に化学繊維やグラスファイバーなど新素材が取り入れられ、ヨットはより安価になり水上スポーツ人口を大幅に増加させた。
日本におけるヨットの歴史

日本においては1861年(文久元年)に長崎で英国人船大工が貿易商オルトの注文で建設し、当時の地元新聞で報道された「ファントム号」や、同年、外国人たちが開催したヨットレース「長崎レガッタ」が初めてのものといわれている。また、1882年明治15年)には横浜本牧で日本人により初めて建造され、神奈川の葉山で帆走したことから、葉山港には日本ヨット発祥の地と刻まれた碑が建っている。

ヨットクラブは横浜を始め神戸長崎などに設立された。
ヨットの動く原理

ヨットを始めとして帆走船はを利用して動くため、まっすぐ風上の方向(風位)へは進むことができない。しかし、風位に対して最大およそ45度の角度(クローズホールド)までなら進むことができる[5]ため、ジグザグにであれば風上へと向かうことができる。進行方向と風上方向との間を成す角度と、理論帆走速度と風速の比を示したものを帆走ポーラー線図(ポーラーダイアグラム)と呼び、性能を示す指標の一つとなる。

この原理は以下の通りである。
クローズホールド時にヨットに働く力の模式図

図のように、セール(帆)の付近を流れる風によって発生する揚力(船の進行方向に対して斜め前方の向き)のうち進行方向に対して垂直な成分を、キール(竜骨)またはセンターボード(船底の中央から水中に差し込む板)によって打ち消すことにより、進行方向と同じ向きの推進力を得る。更に、セールに発生する揚力に加え、リーウエイする艇のキールへの水流の迎角からも艇を前進する力が発生する。

なお、ヨットにはセールを複数持つものもあるが、図では簡略化するためにセールが1枚のものを描いている。セールが複数ある船では、各セールに発生する揚力の合力を、この図でいう「揚力」とみなせばよい。
種類
ディンギー(主に1人?2人乗り)「ディンギー」も参照

一人乗りから二人乗りのヨットで、比較的見る機会が多いものとしては「FJ級(2人乗り)」「420級(2人乗り)」「シーホッパー級SR(1人乗り)」「スナイプ級(2人乗り)」などが挙げられる。日本では、海沿いの高校、大学でヨット部がある学校などには、大抵はこの3つのクラスの艇が備わっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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