ユートピア_(本)
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同様に、弁護士についての批判は、モアが大法官であると同時に、恐らく英国で最も力のある法律家であった事実を基に書かれている。また、ユートピアの共産主義的なライフスタイルは、裕福な地主であったモアとは不釣り合いだが、恐らくスペインによるアメリカ大陸の植民地化に影響されたものであろう。この時期のヨーロッパには、インカ帝国などの共産主義が、理想的な文明の話として響いたのである。

『ユートピア』はよく風刺と見なされ、ヨーロッパの人々がいかに正直かといった多くの冗談や余談が生まれた。通常それらは、質素かつ簡素なユートピアの社会と比較して語られる。女性聖職者のような宗教上の概念のいくつかは、ウィリアム・ティンダル他のプロテスタントにより提言されていた。そのため、モアにはプロテスタントを嘲笑しようという意図があった可能性もある。

それとは別に、モアは、プロテスタントの提言に同意したのだという考え方もある。モアは、想像上の場所を想像上の人物に語らせるという物語作製の手法により、彼の急進的な政治論から距離を置こうとしたのである。「どこにもない」を意味する「ユートピア」以外にも、いくつかの地名が登場している。「土地がない」を意味する「アコラ Achora 」、「センスが全くない」を意味する「ポリルリタ Polyleritae 」、「幸せの地」を意味する「マカレンサス Macarenses 」、「水がない」を意味する「アニドラス川 Anydrus 」などである。これらの名前は、作品の架空性を強調する効果がある。また、ラファエルの姓「ヒュトロダエウス」も「ナンセンスの分配者」を意味し、この冗談を耳にした人々がラファエルの言葉を真に受けないようになっている。しかし、モアがラファエルの名前を選んだのは、『トビト記』に登場する大天使ラファエルを読者に連想させるのが目的だったのかもしれない。『トビト記』で天使ラファエルは、トビアスを導いた後、その盲目の父を治癒した。その言葉が真実でないことをヒュトロダエウスの名が暗示する一方で、「神の癒し」を意味するラファエルの名は、彼が読者に何らかの真実を伝えていることを示している。モアがラファエルの考えに同意したのかもしれないという考えは、ラファエルの服装にも真実味が現れている。「マントをぞんざいに引っかけていた」というラファエルのスタイルは、ロジャー・アスカムが書き記したものによれば、モア自身がよくしていた服装なのである。

さらに、近年の評論では、ギレスの注釈も、本文中の「モア」のキャラクター自体も、信頼性が疑われている。『ユートピア』の本はユートピアとヒュトロダエウスを堕落させるだけであるという主張は、おそらく問題を単純化しすぎであろう。

共産主義的な見解が、カール・マルクスの提言より300年以上も前に書かれているというのは不適当に感じられるかもしれないが、同様の共産主義的な考えは聖書の中にも記されている。『ユートピア』に書かれた共産主義に言及するには誰もが慎重になるだろうが、歴史の前後関係が異なることは、マルクスとモアそれぞれが資産のあり方について独自に考えていたことを意味する。信者たちはみな一緒にいて、いっさいの物を共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた。使徒行伝 2:44-45 、ウィクリフ訳版[5]

これは、エルサレム原始キリスト教社会全体について述べた部分で、ユートピアと同様、強制されたものではなかった。モアの政治的見解にも、聖書のこの部分が影響しているかもしれない。トマス・モアの目的や著作での実際の見解がどうであれ、『ユートピア』の最後の文を読めば、それが風刺のはずがないのは明らかである。

「私は、彼が語ったことに全面的に同意することはできない。しかし、ユートピア連邦には、我々の政府にも見習ってほしいと希望、というより見習ってくれればよいのにと願うような事柄が多く存在する。」

評価

『ユートピア』は1515年5月、トマス・モアが使節としてフランドル滞在中に書き始められた。モアは序章と、ユートピア社会の様子から書き始め、それが作品の後半部になった。英国に戻ってから第1部を書き、1516年に完成させた。同年、『ユートピア』の印刷はルーヴェンで、『エラスムス』の編集と同時進行で進められた。モア自身による改定が行われ、1518年11月、今度はバーゼルで印刷された。モア処刑後16年めの1551年までには、ラルフ・ロビンソンによる英訳版の初版が、英国で発刊された。1684年のギルバート・バーネット訳が、恐らく最もよく引用される版である。

『ユートピア』はどの時代にも、よく知られた作品であったと思われているかもしれない。モアは1518年、モアを著者として尊敬せず、他の誰かの言を繰り返しているだけだとした、ある愚か者について述べたエピグラムを紹介している。

ユートピアの語は、もはやモアの一著作を表すだけでなく、様々な内容の仮想社会を指す言葉として使われてきた。ユートピアとディストピアフィクションのジャンルを確立したのはモアではなかったかもしれないが、この考えを一般化したのは確かにモアである。トマソ・カンパネッラ著『太陽の都』、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレアーエ著『クリスチャノポリス共和国の記述』、フランシス・ベーコン著『ニュー・アトランティス』、ヴォルテール著『カンディード』等の作品は、モアの『ユートピア』に負うところが大きい。

『ユートピア』の制作は、アナバプテスト共産主義の考え方に影響力があるように思われる。ユートピアン社会主義により、社会主義の最初の概念が記述された一方で、のちのマルクス主義理論家は、その考えが単純すぎて現実の法則にはそぐわないと見なす傾向にある。作品の宗教的なメッセージと、不確かで、考えようによっては風刺的な論調のため、『ユートピア』を遠ざけた理論家もあった。

モアの考えたユートピアを発展させた例として、メキシコミチョアカン州バスコ・デ・キロガの実践が挙げられる。彼はモアの『ユートピア』を直接的に参照していた。
日本語訳

『ユトーピア』
村山勇三訳、春秋社「春秋文庫」、1933年

『ユートピア』 本多顕彰訳、岩波文庫(旧版)、1934年

『ユートピア』 平井正穂訳、岩波文庫、1957年、のち改版

『ユートピア』 沢田昭夫(澤田昭夫)訳『世界の名著 17』中央公論社、1969年。中公文庫(改訳版)、1993年

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