ユーゴスラビア
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国家の多様性から『七つの国境[注釈 1]、六つの共和国[注釈 2]、五つの民族[注釈 3]、四つの言語[注釈 4]、三つの宗教[注釈 5]、二つの文字[注釈 6]、一つの国家』と形容される[1][2][3]。詳細は「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国#多様性を内包した国家」を参照
概要

首都はベオグラード1918年セルビア王国を主体としたセルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(セルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国)として成立。1929年ユーゴスラビア王国に改名されたが、1941年にナチス・ドイツを中心とする枢軸国の侵攻によって全土を制圧され、以後枢軸国各国による分割占領や傀儡政権を介した間接統治が実施された。その間はヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザンを中心とする抵抗運動が続き、枢軸国が敗戦した1945年からはパルチザンが設置したユーゴスラビア民主連邦が正式なユーゴスラビア政府となり社会主義体制が確立され、ユーゴスラビア民主連邦はユーゴスラビア連邦人民共和国に改称された[注釈 7]。そして1963年、ユーゴスラビア連邦人民共和国はユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称された。

しかし、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は1980年代後半の不況によって各構成国による自治・独立要求が高まり、1991年から2001年まで続いたユーゴスラビア紛争により解体された。その後も連邦に留まったセルビア共和国モンテネグロ共和国により1992年ユーゴスラビア連邦共和国が結成されたものの、2003年には緩やかな国家連合に移行し、国名をセルビア・モンテネグロに改称したため、ユーゴスラビアの名を冠する国家は無くなった。この国も2006年にモンテネグロが独立を宣言、その後間もなくセルビアも独立を宣言し国家連合は解消、完全消滅となった。

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の6つの構成共和国はそれぞれ独立し、スロベニアクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナセルビアモンテネグロ北マケドニアとなっている。また、セルビア国内の自治州であったコソボ2008年にセルビアからの独立を宣言した。コソボを承認している国は2015年8月の時点で国連加盟193か国のうち110か国であり[4]、セルビアをはじめとするコソボの独立を承認していない国々からは依然コソボはセルビアの自治州と見なされている。

バルカン半島に位置し、北西にイタリアオーストリア、北東にハンガリー、東にルーマニアブルガリア、南にギリシア、南西にアルバニアと国境を接し、西ではアドリア海に面していた。
国名

ユーゴスラビアはスロベニア語、およびセルビア・クロアチア語ラテン文字表記でJugoslavija、キリル文字表記で?УГОСЛАВИ?А(スロベニア語: [ju???sla??ija]、セルビア・クロアチア語: [ju??sla??ija, ju?osla?ija])。

日本語での表記はユーゴスラビアもしくはユーゴスラヴィアである。しばしばユーゴと略される。過去にはユーゴースラヴィアという表記が使われていた[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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