ユーグ・カペーは多くの子孫を残した。フランス革命とナポレオンの時期を除き、1848年までフランスを支配したカペー朝・ヴァロワ朝・ブルボン朝・7月王政の各王は、みなカペーの子孫である。1204年の第4回十字軍後に建国されたラテン帝国のクルトネー家、1910年まで続いたポルトガル王家、14世紀にナポリ王国・ハンガリー王国・ポーランドのアンジュー=シチリア家もカペー家の系統だった。現在のスペイン・ルクセンブルクの各王室もユーグ・カペーの傍系の子孫である(カペー家の支流の、ブルボン家の支流)。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 母方の従兄弟にあたる[1]。
^ このとき、アダルベロンは神聖ローマ皇帝との内通が疑われていた[5]。
^ この場合の「聖別」とは、大司教にランスの聖油を塗油されることで王にふさわしい超自然的な力を得るというフランク王ルートヴィヒ1世以来のしきたりである[6]。
出典^ a b 瀬原、p. 528
^ a b 福井、p. 83
^ 柴田他、p. 185
^ 佐藤、p. 37
^ 柴田他、p. 183。
^ 柴田、p. 19-21
^ 柴田他、p. 183
^ 佐藤、p. 27-28
^ a b 瀬原、p. 105
^ 柴田他、p. 184
^ 佐藤、p. 38
参考文献
瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年
福井憲彦 編 『世界各国史12 フランス史』 山川出版社、2001年
柴田三千雄、樺山紘一ほか 『世界歴史大系 フランス史1』 山川出版社、1995年
佐藤賢一 『カペー朝 フランス王朝史1』 講談社現代新書、2009年
柴田三千雄 『フランス史10講』 岩波新書、2006年
関連項目
カペー朝
カペー家
ユーグ大公
外部リンク
カペー朝 - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)
ユーグ・カペーの末裔たち - ウェイバックマシン(2001年1月10日アーカイブ分)
『ユーグ・カペー』 - コトバンク
先代
ルイ5世
(西フランク国王)フランス国王
987年 - 996年次代
ロベール2世
表
話
編
歴
フランス君主
カロリング朝
シャルル2世 843-877
ルイ2世 877-879
ルイ3世 879-882
カルロマン2世 879-884
シャルル肥満王 885-888
ロベール朝
ウード 888-898
カロリング朝
シャルル3世 898-922
ロベール朝
ロベール1世 922-923
ボゾン朝
ラウール 923-936
カロリング朝
ルイ4世 936-954
ロテール 954-986
ルイ5世 986-987
カペー朝
ユーグ1世 987?996
ロベール2世 996?1031
ユーグ2世(共同王) 1017-1025
アンリ1世 1031?1060
フィリップ1世 1060?1108
ルイ6世 1108?1137
フィリップ(共同王) 1129-1131
ルイ7世 1137?1180
フィリップ2世 1180?1223
ルイ8世 1223?1226
ルイ9世 1226?1270
フィリップ3世 1270?1285
フィリップ4世 1285?1314
ルイ10世 1314?1316
ジャン1世 1316
フィリップ5世 1316?1322
シャルル4世 1322?1328
ヴァロワ朝
フィリップ6世 1328?1350