ユーグ・カペー
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アキテーヌ公ギヨーム3世の娘アデライード・ダキテーヌとの間に以下の子女がいる。

エドヴィジュ(アヴォワーズ)(970年頃 - 1013年以降) - エノー伯レニエ4世と結婚

ロベール2世(972年 - 1031年) - フランス王

ジゼル(972年頃 - 1002年) - ポンチュー伯ユーグ1世と結婚

アデルまたはアリックス(973年頃 - 1063年)

ユーグ・カペーは多くの子孫を残した。フランス革命ナポレオンの時期を除き、1848年までフランスを支配したカペー朝ヴァロワ朝ブルボン朝7月王政の各王は、みなカペーの子孫である。1204年の第4回十字軍後に建国されたラテン帝国クルトネー家、1910年まで続いたポルトガル王家、14世紀にナポリ王国ハンガリー王国ポーランドアンジュー=シチリア家カペー家の系統だった。現在のスペインルクセンブルクの各王室もユーグ・カペーの傍系の子孫である(カペー家の支流の、ブルボン家の支流)。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 母方の従兄弟にあたる[1]
^ このとき、アダルベロンは神聖ローマ皇帝との内通が疑われていた[5]
^ この場合の「聖別」とは、大司教にランスの聖油を塗油されることで王にふさわしい超自然的な力を得るというフランク王ルートヴィヒ1世以来のしきたりである[6]

出典^ a b 瀬原、p. 528
^ a b 福井、p. 83
^ 柴田他、p. 185
^ 佐藤、p. 37
^ 柴田他、p. 183。
^ 柴田、p. 19-21
^ 柴田他、p. 183
^ 佐藤、p. 27-28
^ a b 瀬原、p. 105
^ 柴田他、p. 184
^ 佐藤、p. 38

参考文献

瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年

福井憲彦 編 『世界各国史12 フランス史』
山川出版社、2001年

柴田三千雄樺山紘一ほか 『世界歴史大系 フランス史1』 山川出版社、1995年

佐藤賢一 『カペー朝 フランス王朝史1』 講談社現代新書、2009年

柴田三千雄 『フランス史10講』 岩波新書、2006年

関連項目

カペー朝

カペー家

ユーグ大公

外部リンク

カペー朝
- ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)

ユーグ・カペーの末裔たち - ウェイバックマシン(2001年1月10日アーカイブ分)

『ユーグ・カペー』 - コトバンク

先代
ルイ5世
西フランク国王フランス国王
987年 - 996年次代
ロベール2世










フランス君主
カロリング朝

シャルル2世 843-877

ルイ2世 877-879

ルイ3世 879-882

カルロマン2世 879-884

シャルル肥満王 885-888

ロベール朝

ウード 888-898

カロリング朝

シャルル3世 898-922

ロベール朝

ロベール1世 922-923

ボゾン朝

ラウール 923-936

カロリング朝

ルイ4世 936-954

ロテール 954-986

ルイ5世 986-987

カペー朝

ユーグ1世 987?996

ロベール2世 996?1031

ユーグ2世(共同王) 1017-1025

アンリ1世 1031?1060

フィリップ1世 1060?1108

ルイ6世 1108?1137

フィリップ(共同王) 1129-1131

ルイ7世 1137?1180

フィリップ2世 1180?1223

ルイ8世 1223?1226

ルイ9世 1226?1270

フィリップ3世 1270?1285

フィリップ4世 1285?1314

ルイ10世 1314?1316

ジャン1世 1316

フィリップ5世 1316?1322

シャルル4世 1322?1328

ヴァロワ朝

フィリップ6世 1328?1350


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