ユン・ピョウ
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武道館のコンサートで谷村新司の昴を歌ったのを聞いた映画関係者がユン・ピョウのレコードデビューを計画。『チャンピオン鷹』の主題歌を歌う事になり、1985年2月6日大阪・毎日ホール、徹夜組が出た2月11日東京・後楽園ホールにて『チャンピオン鷹公開記念 ユン・ピョウ オンステージ』でお披露目。その際に同行し、ステージでアクションの相手をつとめたのがユン・ワー、ユン・モウ、チン・カーロウ。

1987年3月14日に東京・国立競技場でチャリティー・イベントのサッカーの試合『ザ・ドリームカップ』に参加。ユン・ピョウが選手宣誓。香港チームはマイケル・ホイ、ラウ・カーウィン、アラン・タムエリック・ツァンナタリス・チャン(ナット・チャン)、ケニー・ホー、サイモン・ヤム、ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、チャン・コッキョン、ビリー・ロウ、アンディ・ラウなど。応援にアニタ・ムイ。日本チームは明石家さんま、とんねるず木梨憲武島崎俊郎植草克秀望月三起也釜本邦茂、カルロス・ニコトラ、杉山隆一、千野圭一など。2?3で日本チームの勝ち。前日13日のレセプション・パーティーには政府閣僚や著名人が多数来場。当時の文部大臣・塩川正十郎を始めとし、川内康範大島渚小山明子などが出席。

1988年3月26日第2回'88『ザ・ドリームカップ』。冷雨の中9時頃からファンがつめかけ、12時半キックオフ。香港チームはチャーリー・チャン、マイケル・ホイ、アラン・タム、エリック・ツァン、ナタリス・チャン(ナット・チャン)、ジャッキー・チェン、ユン・ピョウなど。日本チームはたけし軍団ビートたけし(北野武)、そのまんま東(現:東国原英夫)、松尾伴内ラッシャー板前井手らっきょ、とんねるず木梨憲武など。1?2で日本チームの勝ち。

1989年3月11日沖縄コンベンションセンター劇場にてPAX MUSICA'89 IN OKINAWAに参加。出演者は谷村新司、チョー・ヨンピル、ワン・ジェ、喜屋武マリーなど。

1989年仙台でフジテレビ主催のチャリティーの国際カーレースに参加。イー・トンシンチョウ・ユンファアラン・タム、シン・フィオン、アンディ・ラウ、チン・シウホウ、チン・カーロウ、応援にマギー・チャン、チョウ・ユンファの妻の陳薈蓮、チン・シウホウの妻の郭秀雲、ロレッタ・リー、ユン・ピョウの妻の彭秀霞、アニタ・ムイなど[10][11][12]

1998年6月6日大阪・泉佐野市の泉の森ホールにて大阪国際シネマドリーム'98 いずみさの映画祭で、出演作品『暗黒街 若き英雄伝説』のゲスト。同時ゲストは『夢翔る人/色情男女』に出演のスー・チー。舞台から客席へ向けて2人がサインボールを投げてプレゼント。

2002年2月9日『無問題2』の舞台挨拶で監督のチン・カーロウ、共演者サム・リーと共に来日。9:30渋谷東急、11:00新宿シネマミラノで舞台挨拶を行った。
兄弟子らとの関係

サモ・ハン・キンポーとは現在に至るまで映画では2001年『拳神 KENSHIN』、2010年『イップ・マン 誕生』で共演、2012年『TAICHI/太極 ヒーロー』ではアクション監督と出演者として組み、それ以外のインタビューなどでも一緒であったり[13]、プライベートでも共に香港競馬場に姿を現すが[14]、ジャッキー・チェンとは『サイクロンZ』以降、2000年の『シャンハイ・ヌーン』でカメオ出演、2006年に『プロジェクトBB』にて共演するにとどまっているが、仲が悪いという訳ではなく、2012年3月のサモ・ハン・キンポーの息子のティミー・ハンの結婚式にジャッキーと共に参列したり[15]、2014年のジャッキーのプライベートな誕生パーティーには参加している。2005年に『カンフーハッスル』で香港電影金像奨にノミネートされた兄弟子のユン・ワーやユン・チウの演技についてアンソニー・ウォンが「演技が大げさすぎる」など批評した際に蘋果日報の記者にコメントを求められ、「話してる人は演技を知らないんじゃないかな、彼は演技を知ってるの?それぞれの人に自分のやり方があるんだよ」と答えたり[16]、2014年8月22日には18日に北京で大麻の大量所持と陽性反応が出たため警察に拘束されたジャッキー・チェンの息子ジェイシー・チャンの事件についてコメントを求められた時も、「はっきりしていない話なので僕はいまその事についてたくさん話すことはない」としながらも「これは子どもの一時的な過ちだから、皆さんには許してやって欲しいです」と、いつも兄弟子たちをかばう発言をしている[17]。また2016年5月22日にジャッキー・チェンの出演作「SKIP TRACE(絶地逃亡)」の発表イベントにはサプライズ出演を果たし、七小福時代のエピソードを互いに披露するなどの雑談を交わしていた[18]
私生活

プライベートでは『燃えよデブゴン4 ピックポケット!』でアクション指導した時に出演していた彭秀霞と知り合い、初恋の彼女と結婚[19]。1993年にカナダへ一家で移民しバンクーバーに居を構えるが[20]、ほとんど中華圏で仕事をし、主に香港に長く滞在している。カナダに帰ると家庭的になり、いつも妻と一緒にスーパーマーケットへ行っているという。結婚以来スキャンダルが一度も無い[3]。その理由として、「24歳で結婚したのは誰かに自分の面倒をみていて欲しかったから。この世界は誘惑が多いけれど(中略)僕は早く家庭を持ちたかった。家に帰ったらそこに話し合える相手がいるような。ガールフレンドではこんな感覚は味わえない。奥さんはやっぱり奥さんだよな」「うちの奥さんを車に乗せてどこかご飯を食べに行くのでさえ面倒なのに、(女性と噂になるような)そんなことはしない」「香港で撮影する時でも、(カナダにいる)奥さんはずっと安心している。(中略)お互いを信用しているから」とインタビューに答え、サモ・ハン・キンポーやジャッキーの子ども達が芸能界入りしているのに対し、「(息子は)身長も180cmあって(中略)ハンサムだけど、(中略)芸能界に入ってもイケメンは次々と出現するからね」と続けており、娘も息子も芸能界には入れない方針のために2人とも一般の職業に就いている。趣味はゴルフと競馬観戦。長らくトレードマークであった右頬のホクロは年々大きくなってゆき、2000年頃に「癌に変わってはいけない」というカナダのホームドクターの判断で、診せたその場で麻酔針を使ってえぐり取るように除去され[1]、現在は痕跡を残すのみである。
日本語吹き替え

主に担当しているのは、以下の二人である。
古谷徹
スパルタンX』(フジテレビ版)で初担当。最も多く吹き替えている。2000年以降は大半の作品で担当しており、『プロジェクトA』をはじめとした旧作の新録版にも起用されるなど、近年ではほぼ専属(フィックス)となっている。
大滝進矢
五福星』(フジテレビ版)で初担当。古谷の次に多く吹き替えている。

このほかにも、目黒裕一松本保典三ツ矢雄二堀秀行山口健菊池正美小山力也大塚芳忠井上和彦小杉十郎太なども声を当てている。なお、ユン・ピョウがスターダムに駆け上がるきっかけとなった作品である『プロジェクトA』の初回放映版(1987年1月4日『日曜洋画劇場』、各種配信でも使用)では野島昭生が務めていた。
出演作品
映画
主演作
1979年


モンキー・フィスト 猿拳
(燃えよデブゴン5) 雜家小子 Knockabout/The Fight【香】

ツーフィンガー鷹 勇者無懼 Dreadnought/Dreadnaught【香】

1981年 


ユン・ピョウINドラ息子カンフー 敗家仔 The Prodigal Son/Pull No Punches【香】

1983年 


蜀山奇傅 天空の剣 蜀山 新蜀山劍? Zu: The Warriors from the Magic Mountain/Zu: Warriors of the Magic Mountain/Zu Warriors from the Magic Mountain/Warriors from Magic Mountain/Zu: Time Warrior【香】

チャンピオン鷹 波牛 The Champions【香】

プロジェクトA A計劃 Project A【香】


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