ユンカー
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土地売買の自由、職業選択の自由、土地の分割と統合の自由、隷農制の廃止、農民の土地所有権の保護、また賦役の償却(領主に対して農地の一部や償却金などの補償を差し出すことで賦役を無くすことができる)などが認められた[21]

しかしこれはユンカーの力を低下させる物ではなく、ユンカーにとっても償却によって直営農地を更に拡大できたので悪い話ではなかった。またユンカーの領主裁判権や領主警察権はそのまま温存された。郡議会にユンカーだけでなく農民代表も出席できるようにするという改革も計画されたが、これはユンカーの猛反対によって挫折している[22]

ユンカーは直営農地(騎士領)を更に拡大しつつ、隷農の賦役による農業経営から、賃金が支払われる農業労働者を用いた農業経営へと転換させていき、農業の資本主義化・合理化を図っていった[23]。一方で土地売買自由化によって裕福な市民や農民がユンカーから騎士領を買い取るケースも増えた。1850年の時点で1万2339の騎士領のうち貴族(ユンカー)所有は57%程度になっていた[5]

1848年革命の際にユンカーの領主裁判権が廃止され、ついでドイツ統一後の1872年に領主警察権が廃止された。ユンカーはドイツ統一には消極的だった。だが統一の中心人物だったプロイセン宰相オットー・フォン・ビスマルクはユンカーの出身だった。ドイツ帝国の樹立後、ユンカーは軍や中央官庁の中で一層影響力を拡大させた[2]

19世紀末頃から穀物価格の下落と急速な工業化に伴ってユンカーは経済的に苦しくなったが、それが彼らを一層保守的にした[2]
解体とその後

第一次世界大戦後の共和政時代(ヴァイマル共和政ナチス政権期)、ユンカーは旧態依然の存在を見なされ、冷遇される向きもあったが、抜本的な農地改革や軍の機構改革は行われなかったため、影響力を残した。軍の中枢部も国防軍に改組されてからも独占し続け、ヒトラーの独裁体制の一助となった。しかし第二次世界大戦後にドイツ東部が赤軍に占領されたことで、徹底的な農地改革が行われ、ユンカーも完全に解体されるに至った[2]。それに伴い、ユンカーの邸宅の多くが接収のうえ破壊された。

国外へ亡命を余儀なくされた元ユンカーたちは1990年ドイツ再統一に伴って帰国し、一部はソ連に奪われた元領地の回復を試みた。しかしドイツの司法当局はドイツ最終規定条約を根拠とし、ソ連による農地解放を支持する形で元ユンカーたちの訴えを却下し、2006年9月にエルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファーが敗訴したのを最後に訴訟の動きはやんだ。その後も名誉回復の請願が行われたが、2008年ドイツ連邦議会により却下されている。しかし、一部の元ユンカーは元領地を買い戻したり、残された邸宅を現在の所有者から借りるなどしている。
著名なユンカードイツ統一を主導した「鉄血宰相」オットー・フォン・ビスマルク

オットー・フォン・ビスマルク(プロイセン王国宰相、ドイツ帝国宰相)

アルブレヒト・フォン・ローン(プロイセン王国陸相、宰相)

パウル・フォン・ヒンデンブルク第一次世界大戦期のドイツ参謀総長。ヴァイマル共和政期のドイツ大統領)

ゲルト・フォン・ルントシュテット第二次世界大戦期のドイツ陸軍元帥)

ヴェルナー・フォン・ブラウン(宇宙工学者)

脚注[脚注の使い方]
出典^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.87
^ a b c d e f 世界大百科事典(1988年版)「ユンカー」の項目
^ 林(1993) p.74-75
^ 望田(1979) p.20
^ a b 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.206
^ a b 望田(1972) p.66
^ 林(1977) p.190
^ a b 林(1993) p.82
^ a b 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.88
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.88/89
^ a b 林(1993) p.83
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.89-90
^ a b c 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.91
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.93-94
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.95
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.96
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.96-97
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.97-98
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.99
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.185
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.203/204
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.204-205
^ 成瀬、山田、木村(1996) 2巻 p.205

参考文献.mw-parser-output .refbegin{margin-bottom:0.5em}.mw-parser-output .refbegin-hanging-indents>ul{margin-left:0}.mw-parser-output .refbegin-hanging-indents>ul>li{margin-left:0;padding-left:3.2em;text-indent:-3.2em}.mw-parser-output .refbegin-hanging-indents ul,.mw-parser-output .refbegin-hanging-indents ul li{list-style:none}@media(max-width:720px){.mw-parser-output .refbegin-hanging-indents>ul>li{padding-left:1.6em;text-indent:-1.6em}}.mw-parser-output .refbegin-100{font-size:100%}.mw-parser-output .refbegin-columns{margin-top:0.3em}.mw-parser-output .refbegin-columns ul{margin-top:0}.mw-parser-output .refbegin-columns li{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}


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