ユニクロ
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1984年6月2日にオープンしたユニクロ1号店の初日は早朝6時のオープンで、開店待ちの列を作った客に対してユニクロが朝食としてあんパン牛乳を無料で振る舞った[4][6][7][8][10]。事前にテレビCMを打ち、近くの高校の前などで開店チラシを配ったこともあり[3][5]、1号店の前には入場制限をするほど客が押し寄せた[3][5][6]ラジオ中継で柳井が「人が多すぎるので来ないでください」と呼び掛けたほどだった[3][6]。柳井は「金鉱脈を発見した気分だったが、今ほど成功するとは思っていなかった」と振り返る[3]2009年11月21日には、ファーストリテイリング創業60周年記念の企画として、テナント内店舗などを除く全国約400店舗が朝6時開店となり、各店舗先着100名にあんパンと牛乳の朝食サービスが1日限定で復活した[11]。当日は目玉商品を目当てに徹夜で並んだ客もいたという[12][13]。なお、2010年以降も創業記念キャンペーンとして行っているが、2012年以降は牛乳が緑茶に変更されている。創業40周年となる2024年には国内約800店舗の各店長が選んだ、地域の名品を店舗ごとに先着順、無料で配布すると発表した(2024年5月24日から6月2日まで)[4][14]
利益拡大と海外進出

1991年9月、小郡商事からファーストリテイリングに社名変更した。

当初はナショナルブランド衣料品の小売店であった。アメリカン・スタイルの倉庫風の建物内に、クラシックな映画ポスターや有名スターのポートレイトを展示した特徴的な店舗(右記写真の店舗例2の姪浜店参照)を全国に展開し、またいち早く中国の優良な工場と提携して低価格で調達するモデルを構築した。

1994年7月24日、ファーストリテイリングとして今はなき広島証券取引所新規株式公開[15]公募価格は7,200円で、上場初日は注文殺到で値つかず。2日目に1万4,900円の初値をつけた[15]。その後の株式分割を反映した公募価格は165円、初値は342円。地方証券取引所への全国的にはまだ無名の存在だった一アパレル企業の上場にもかかわらず、公募価格の倍で初値をつけた事実は、同社がこのころ既にその存在を知る投資家からは未来を期待される企業だったことを意味している[15]。30年後の2023年5月23日、ファーストリテイリング株は前日比230円高となり、終値ベースの上場来高値を3万4,300円まで切り上げた。最高値を更新し続けているファーストリテイリングであるが、この日の終値には、上場初値からの上昇率が100倍を超えるという象徴的な意味があった[15]。公募価格からは208倍、初値からは100倍にあたる[15]

1990年代に「購入後の商品の返品・交換が可能」であることをアピールするために、中年の女性(辻イト子)が関西弁で喋りながらレジカウンターの前で着用していたユニクロ製品を突然脱ぎ出し、下着姿になるという大胆なCMを放映したことがある。同様のCMで中年男性バージョンもあった。以前は購入から3か月以内でレシートを保管してあれば、購入後の商品の返品・交換が可能であった。2020年8月現在は返品・交換が可能な条件として、購入後30日以内で未着用であり、洗濯済みでないこと、客の取扱に由来する傷や汚れがないことなどに改定されている[16]

1995年10月には、全国紙・週刊誌に「ユニクロに悪口言って100万円」という一面広告を掲載した[6]。売上が伸び店舗数も増えていくにつれ、商品の品質チェックが行き届かなくなり質の悪い商品を提供するケースが増えていったことへの危惧から企画されたもので、実際に約1万通のクレームが届き、審査で選ばれた1名に100万円が贈呈された。企業がクレームを顧客満足度の向上に生かした例として取り上げられることが多い。

1997年頃からプライベートブランド商品の取扱比率を高め、アメリカの衣料品小売店GAP(ギャップ)をモデルとした製造小売業 (SPA)への事業転換を進め、経済の状況にマッチした低価格・高品質商品を展開した。また広告代理店と提携し、クリエイティブディレクターにタナカノリユキを起用して明確なメッセージを発信したPRを行うなど、戦略を次々と刷新した。

1998年、悲願としてきた東京への本格進出と、全国的なSPAチェーン確立に乗り出す[17]。同年秋、「ユニクロのフリース。1900円」と、たったそれだけの文字が書かれたシンプルだが斬新なポスターが若者の街、渋谷駅原宿駅の構内や銀座線丸ノ内線など地下鉄の車内に突如、大量に貼り出された[17]。2 - 3万枚売ればヒットと言われるフリースを目標200万枚、1999年には850万枚でいずれも完売。2000年秋冬にはCMモデルに松任谷由実らを起用し51色に展開、2,600万枚という驚異的セールスを樹立した。この現象は「フリース旋風」と評され、衣料品流通業の革命を席巻し社会現象を起こした。2001年8月期には売上・経常利益ともピークに達し、イギリスへ進出した。
業績の低迷、買収による業績回復

フリースの売れ過ぎで[18]2002年頃から日本では在庫が急増、イギリスでの業績も振るわず、2002年、2003年8月期と利益が大きく落ちこむ[18]。その後、「theory」「ナショナルスタンダード」といった国内外のファッションブランドの買収、ファッション雑誌との共同企画(コラボレーション)商品の開発、藤原紀香など有名タレントの起用、外部デザイナーなどとの提携などのテコ入れが行われ、2004年度には業績が上向いた。

ロンドン支店の業績も黒字に転じ、東アジアでは2002年9月に中国上海市に出店し、2005年9月には中国香港に、そしてロッテとの合弁韓国ソウル市にも出店した。

2005年にはマガジンハウスの雑誌『relax』との共同企画で、東京・北青山に期間限定の「セレクロ」(セレクトショップあるいはセレブの位置付け)が開設された。また、大阪心斎橋に平均価格帯を引き上げた「ユニクロプラス」も開店したが、その後プラスの名称を外し、銀座店を中心に7店舗の大型店を運営。2006年11月には、ニューヨークソーホーにグローバル旗艦店を出店したほか、上海にもアジア旗艦店を出店して世界進出を加速した(後述)。

2005年11月に、ファーストリテイリングは衣料品の製造・小売に関する営業を会社分割(吸収分割)によりゴルフ練習場を経営していた完全子会社のサンロード株式会社に承継させ、持株会社制に移行した。同日、サンロードは商号を株式会社ユニクロに変更した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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