ミッキー・ルーニーが演じた。映画版のユニオシのキャラクターは、監督のブレイク・エドワーズの創作と言われる[6]。映画版ではホリーと同じアパートに住む日本人カメラマンという設定だけは原作と似ているが、以下の部分で描写が異なる。
背が低く、メガネ、出っ歯などといったステレオタイプ的な醜い容姿の日本人として描かれている[注 1][7][8]。
映画ではホリーはニューヨークに留まるため、上述のアフリカの写真のエピソードは削除されている[8]。
部屋のカギをもち忘れたホリーがユニオシを訪ねるシーン[注 2]では、ユニオシの部屋が俗悪な日本趣味として描かれる上、起こされたユニオシは極めて狼狽する[8]。
ホリーに起こされることが何度も続いたユニオシは、さらに階下でうるさいパーティーをやられたことから彼女に反感を抱き、警察を呼んでホリーを逮捕させる[注 3][7]。
こうした映画版の描写について、村上由見子は太平洋戦争前後のアメリカにあった、日本人を「先天的幼児」とみなす風潮と関連付けている[7]。
批判「ハリウッドにおける東アジア人の描かれ方」も参照
映画が公開された1961年当初は、ユニオシについては好意的な評価があったが[9]、29年経った1990年にはやっと『ボストン・グローブ』が「攻撃的でゆがんだ民族描写」と批判した[10]。1993年には『ロサンゼルス・デイリーニュース』も「攻撃的なステレオタイプであり、侮辱と傷をもたらした」と批判するなど[11]、映画版ユニオシへの批判が相次ぐ。
ニューヨークのブルックリン・ブリッジ・パーク(Brooklyn Bridge Park)での映画祭で、この映画の上映への反対運動が起きた際、『ニューヨーク・デイリーニュース』では反対運動に同情しつつ、過去のアメリカが犯した人種差別の歴史を隠さずに直視しすべきだという意見が載った[12]。
脚注
注釈^ 小説版では背が低いという点以外、ユニオシについての身体的特徴の描写はない。
^ このシーン自体は小説版にもある。
^ 小説版ではマダム・スパネラがホリー追い出しを画策する。
出典^ a b 村上 1993, p. 86.
^ 澤野 1995, pp. 302?303.
^ 村山 2007, pp. 106?107.
^ 村山 2007, pp. 108?109.
^ Gordon H. Chang (2009年2月16日). “Emerging from the Shadows: The Visual Arts and Asian American History”