スファラディ(セファルディム)系ユダヤ人は、オスマン帝国圏やスペイン・フランス・オランダ・イギリスなどに多く、かつてはラディーノ語を話していた。キリスト教に改宗した人々はマラーノと呼ばれた。
アシュケナージや、スファラディといったヨーロッパに移り住んだユダヤ人に対して、中東地域、アジア地域に移り住んだユダヤ人はミズラヒム(ミズラヒ)と呼ばれていた。
ほかにもイラン、インド(おもに3集団)・中央アジア・グルジア・イエメン・モロッコなどを含んだ大きな観念であるミズラヒム、カライ派・カライム人、中国、ジンバブエなどのユダヤ人のほか、インド(ミゾ族(英語版))・ウガンダ(アバユダヤ(英語版))・アメリカ黒人(ブラック・ジュー)などの新たな改宗者、イスラエル建国はメシア到来まで待つべきだとするサトマール派・ネトゥレイ・カルタ、キリスト教関連のメシアニック・ジュダイズム、ネオ・ジュダイズムなど多くの分派もある。エチオピア・ベルベルのユダヤ人は孤立して発展し、タルムードを持たない。
現在世界に散らばるユダヤ人は、すべてがユダヤ教徒というわけではないが、ユダヤ人にとってユダヤ教は切り離せない宗教である。写真はユダヤ人の言語(ヘブライ語)から各国語に翻訳された聖書の一部である。 世界に散らばったため、世界のユダヤ教徒のコミュニティーや宗教的集団には以下のように複数がある。 イスラエルに住むユダヤ人は、アシュケナジムと呼ばれる欧米系のユダヤ人と、それ以外のアジア・アフリカ系のユダヤ人を意味するセファルディムに大別される[12]。 イシューブとは、1948年5月14日イスラエル建国以前からパレスチナ地域に住んでいたユダヤ教徒 アシュケナジム-ユダヤ系のディアスポラのうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々。中欧・東欧出身のユダヤ人であり、シオニズム運動の推進役を務めた。一般に教育・文化水準が高く、イスラエルでも指導的役割をになっているエリート層が多い[24]。 セファルディム-イスラエルにおける「アシュケナジム以外のユダヤ人」を広く指す言葉。このうち中東・アフリカ系だけは「ミズラヒム」と 別にする場合もある。本来は、中世にイベリア半島(スペイン、ポルトガル)に住んでおり、イベリア半島からの追放後にアジア・アフリカ地域に移住したユダヤ人の子孫を指す言葉[12]。 (英語版の記事「Jews by country
ユダヤ民族の区分や宗教的集団
イシューブ
アシュケナジム
アイルランドのユダヤ人
「ヘレニスト」も参照
ロマニオット(「ローマ人」、ユダヤ系ギリシャ人)
イタリアのユダヤ教徒
北部にはアシュケナジムが多い
ツァルファーティー
フランス系ユダヤ教徒(英語版)で、消滅した世代と残留者、新しい世代(諸地域・諸国からの移民)
セファルディム
インドと周辺のユダヤ人
コーチン・ユダヤ人
クナナヤ(英語版)(キリスト教徒)
ベネ・イスラエル
ボンベイ・ユダヤ人(英語版)
バグダーディ・ユダヤ人(英語版)(イラク系)
マニプール・ユダヤ人(集団改宗者)
中国のユダヤ人(英語版)
開封市のユダヤ教徒
ハザールのユダヤ人
クリミア・カライム人(カライ派)
クリムチャク人
ミズラヒム
北アフリカのユダヤ人(マグレビーム(英語版))
モロッコのユダヤ人
アルジェリアのユダヤ人フランス植民地統治下のアルジェリアでは、原住民のイスラム教徒が参政権を持たない下級市民とされたのに対し、ユダヤ教徒(セファルディム、ミズラヒム)に対してはフランスの完全市民権が付与された。このため、ユダヤ教徒はフランス本国からの入植者(コロン) と同化し、フランス語を母語とするようになり、自らをヨーロッパ人と考えるようになった。このため、アルジェリアの独立時には多くのユダヤ教徒がフランス人としてコロンとともにフランス本国に引き揚げコロンとひとまとめに「ピエ・ノワール」と呼ばれるようになった。ただし、独立以前にもフランス内地へ移住するユダヤ教徒がいなかったわけではない。これらの人々の中からはフランスで著名な歌手・俳優なども多く輩出されている(クロード・ルルーシュ、エンリコ・マシアス(セファルディム)など)。