ヤンゴン
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植民地時代のヤンゴンは、広大な公園や湖、近代的な建物と伝統的な木造建築の融合が見られ、「東の庭園都市」と呼ばれた。20世紀の初期までに、ヤンゴンは公共サービスおよび社会的インフラで、ロンドンと肩を並べるほどとなった。

第二次世界大戦前、ヤンゴンの人口500,000人の約55%はインド人あるいは南アジア人であり、ビルマ人は総人口のわずか約1/3で、その他は、カレン族華人、英国人とビルマ人の混血および他民族だった。第二次世界大戦直後のヤンゴン

第一次世界大戦後、ヤンゴンは、極左のラングーン大学生達が率いたビルマ独立運動の中心地となった。1920、1936、1938年の大英帝国に対する3度の全国的なストライキは、すべてヤンゴンで開始された。1942年から1945年にかけて、ヤンゴンは日本軍による占領を受け、第二次世界大戦中に甚大な被害を受けた。1948年1月4日、英国から独立を勝ち取った際に、ヤンゴンはビルマ連合の首都となった。

1948年のビルマ独立後すぐに、植民地時代の街路や公園などの名前の多くは、ビルマの国家主義的な名前に変更された。1989年、現在の軍事政権は、多くのビルマ名の英語の音訳名を変更すると同時に、街の英語名を「ヤンゴン」に変更した。軍事政権の名称変更が不適切であると考えている多くのビルマ人や、BBCを含む報道局ならびに英国、米国などの国家にこの改名は受け入れられていない。

独立後、ヤンゴンは郊外に向かって拡大した。1950年代に政府は、タケタ(英語版)や北オッカラパ(英語版)および南オッカラパ(英語版)などの衛星都市を建設し、1980年代には、ラインタヤ、シェピタ(英語版)や南ダゴン(英語版)を建設した。今日、大ヤンゴン都市圏は約600 km2もの地域に及んでいる。

孤立主義者のネ・ウィンの治世下 (1962-88) で、ヤンゴンのインフラは不十分な管理によって悪化し、増加する人口に対応できていなかった。1990年代、現軍事政権の市場開放政策は、国内および海外の投資を引き寄せ、街のインフラの近代化が若干起きた。市内の居住者は新しい衛星都市に強制移住させられた。市当局は約200の植民地時代の有名な建物を市の遺産リストに登録すると同時に、多くの植民地時代の建物を、高級ホテルや官庁、ショッピングモールなどへの道を造るために取り壊した。主要な建設計画により、6本の新しい橋と、市と内地の工業地帯を結ぶ5本の新しい高速道路が完成した。それでもヤンゴンの多くの地区では、24時間の電気使用や定期的なゴミの収集などの基本的な行政サービスが行われていない。

ヤンゴンは独立以来、民族構成において土着のビルマ人の割合が増えた。独立後、多くの南アジア人および英国人とビルマ人の混血は、国を後にした。1960年代、多くの南アジア人は排外的なネ・ウィン政権によって、国外退去を強いられた。にもかかわらず、ヤンゴンには、大きな南アジア人および華人のコミュニティーがなおも存在している。英国人とビルマ人の混血は、国外に逃れたり、他種族のビルマ人と結婚したりして姿を消した。2006年の市街マーケット

ヤンゴンは、1974、1988、2007年の大きな反政府運動の中心地となった。それぞれの年に、政府によって発砲された参加者が流血する事態となった。1983年には北朝鮮による韓国の全斗煥大統領一行の暗殺を計画した国家テロのラングーン事件は当地で起きた。2007年の反政府運動では、同年9月にバンコクより現地に入り、取材を行っていた日本人ジャーナリスト長井健司が射殺された。2008年の5月、サイクロン・ナルギスがヤンゴンを襲った。街では数人の死者が出ただけだが、ヤンゴンの工業インフラの3/4が破壊、損壊を受け、被害額は8億米ドルと見積もられた。

2006年タン・シュエ率いる軍事政権により、ミャンマーの首都はネピドーに移された。首都移転以降も、ヤンゴンはミャンマー経済の中心地としてその地位を維持している。
行政ヤンゴン市庁舎

ヤンゴンはヤンゴン都市開発委員会(英語版) (Yangon City Development Committee:YCDC) によって行政が指揮されている。都市開発委員会は都市計画を調整する役割も持っている[8]。ヤンゴン市は四つの県 (District) に分かれており、その下にさらに郡区 (township) に分かれる。全45郡区あるが、そのうち33郡区がヤンゴン市となる。ヤンゴン西部県
(Western District (市街地))ヤンゴン東部県
(Eastern District)ヤンゴン南部県
(Southern District)ヤンゴン北部県
(Northern District)


アロン郡区(Ahlone Township)

バハン郡区(Bahan Township)

ダゴン郡区(Dagon Township)

チャウタダ郡区(Kyauktada Township)

チミンダイン郡区(Kyimyindaing Township)

ランマドー郡区(Lanmadaw Township)

ラタ郡区(Latha Township)

パベダン郡区(Pabedan Township)

サンチャウン郡区(英語版)(Sanchaung Township)

セイッカン郡区(英語版)(Seikkan Township)


ボタタウン郡区(Botataung Township)

ダゴン・セイッカン郡区(英語版)(Dagon Seikkan Township)

南ダゴン郡区(英語版)(South Dagon Township)

東ダゴン郡区(英語版)(East Dagon Township)

北ダゴン郡区(英語版)(North Dagon Township)

北オッカラパ郡区(英語版)(North Okkalapa Township)

南オッカラパ郡区(英語版)(South Okkalapa Township)

バズンダウン郡区(英語版)(Pazundaung Township)

ティンガンジュン郡区(英語版)(Thingangyun Township)


タケタ郡区(英語版)(Thaketa Township)

ドボン郡区(英語版)(Dawbon Township)

タムウェ郡区(英語版)(Tamwe Township)

ダラ郡区(英語版)(Dala Township)

セイッチ・カナウント郡区(英語版)(Seikkyi Kanaungto Township)

ヤンキン郡区(英語版)(Yankin Township)

ミンガラ・タウンニュン郡区(英語版)(Mingalar Taungnyunt Township)


インセイン郡区(Insein Township)

ミンガラドン郡区(Mingaladon Township)

マヤンゴン郡区(英語版)(Mayangone Township)

シェピタ郡区(英語版)(Shwepyithar Township)

ライン郡区(Hlaing Township)

ラインタヤ郡区(Hlaingtharya Township)

カマユ郡区(英語版)(Kamayut Township)


教育ヤンゴン第一医科大学(ビルマ語版、英語版)

教育に対する国家支出が非常に少ないミャンマーの中でヤンゴンは、国内で最も質の高い教師層、教育施設を有している[9][10]。同じ市内の学校であっても、貧しい学校と裕福な学校では、教育機会、達成度合いに大きな不均衡がある。学校への国の助成がほとんどないために、各学校では学生の父兄からほぼ強制の寄付やさまざまな費用請求によって、教師の給料の大半を賄っているのが現状である[11]。この出費のために貧しい家庭の学生が退学に追い詰められてしまうことがある。

多くの貧しい地域の学生は高等学校に進学することはできない。その一方でヤンゴンの裕福な地域には多くの高校が存在する。ダゴン第1基礎教育高等学校(BEHS)、サンチャウン第2基礎教育高等学校、バハン第2基礎教育高等学校、ラタ第2基礎教育高等学校、ヤンゴン教育大学付属高等学校(TCC ヤンゴン)などが有名大学に多数の学生を送り出し、ミャンマーで希少な人材を輩出している[12]。裕福な家庭では、さらに国家教育システムを避け、子弟をヤンゴン国際教育センター(YISC)などの私立英語学校や海外大学(シンガポールオーストラリア)に送り、教育を受けさせることもある[13]2008年、ヤンゴン市内のインターナショナルスクールの学費は少なくとも年8,000米ドルにもなる[14]

ヤンゴン市内には20校を超える大学単科大学がある。その中でヤンゴン大学が最も知られており、メインキャンパスは文学音楽映画などのポップカルチャーの中心となっている。同大学は1878年に創設されたミャンマーで最も古い伝統を持っているものの、現在、学部教育の多くが剥奪され、ほとんど大学院教育機関となっている。1988年8888民主化運動後、軍事政府は繰り返し、ヤンゴン大学を閉鎖して、ほとんどの大学学部生を郊外のダゴン大学、東ヤンゴン大学、西ヤンゴン大学などの新設大学に分散させた。いずれにしても国内の優秀な大学はヤンゴン市内に依然集中しており、教育を受けるために全国から学生が集まってくる。ヤンゴン第一医科大学(ビルマ語版、英語版)、ヤンゴン第二医科大学、ヤンゴン外国語大学、ヤンゴン工科大学、ヤンゴンコンピュータ大学、ミャンマー海洋大学なども有名大学である[15]
交通

ヤンゴンは空路、陸路、鉄道の国内、国際的ハブとなっている。
飛行機

ヤンゴン国際空港ヤンゴン中心市街地から19km北にあり、国際、国内空路のミャンマーでのハブ空港として機能している。ハノイホーチミンバンコク昆明クアラルンプールシンガポールなどアジア主要都市に直行便がある。国内ではバガンマンダレー、ヘーホー、ガパリ、首都ネピドーなど20都市と結ばれている。


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