当時のヤンキーの男性は、リーゼントヘア、制服では、「短ラン」「長ラン」など標準とは異なる丈の学生服や、「ドカン」「ボンタン」などの幅の広いズボン( 詳しくは変形学生服の項を参照)を着込むとともに、ぺちゃんこに潰した学生鞄を持ち、派手な色柄でオープンカラーのカッターシャツを好み、派手なヘップサンダルや突っ掛け(便所サンダル)もしくビーチサンダルや雪駄などを好んで履くのが特徴的である。
ヤンキーの女性は、1970年代のスケバン時代からの傾向ではあるが、制服・私服を問わずロングスカートを好み、特に私服ではロング丈のタイトスカート、略して「ロンタイ」の流行が特徴的である。また、男性と同じくぺちゃんこに潰した学生鞄を持っていた。
一般人から見ると特異なファッションセンスを持つため、ヤンキーかそうでないかは見た目で判断しやすい点が、後の年代のヤンキースタイルとの違いと言える。
この時代の典型的なヤンキー像としては、1983年に連載が開始されたきうちかずひろの漫画作品『ビー・バップ・ハイスクール』(講談社『週刊ヤングマガジン』掲載)が挙げられる。これを原作として、清水宏次朗・仲村トオルの主演により1985年から1988年にかけて計6作品の劇場公開映画が制作されヒットシリーズとなった。なお『ビー・バップ・ハイスクール』は2003年まで連載されており、1990年代にも再度映画化され、その続編がVシネマシリーズとなったほか、アニメ版(OVA作品)も制作された。2000年代に入ってからも、テレビドラマの特別番組が2004年・2005年に制作されるなど、時代を超えるヒット作品となった。
1986年に連載が始まった『ヤンキー烈風隊』はタイトルにヤンキーとつく初めての漫画であり、暴走族がかっこいいというイメージが作られていった。
ロックバンドの氣志團は1997年に結成され2000年にデビューしたバンドであるが、ヤンキーの衣装・意匠を用いて「ヤンク・ロック」を標榜している。
後の年代には、この時代のスタイルを指して「古典的なヤンキー」の意味合いから「クラシックヤンキー」と呼ぶ場合がある(次の時代のヤンキースタイルを「ネオヤンキー」などと称したことに対比して生まれたレトロニム)。
ヤンキーは現在も存在し、実際に2022年6月には広島県安芸郡府中町のショッピングモール、イオンモール広島府中の立体駐車場で会社員を8人の不良少年が暴行する事件が発生した[9]。 1990年代に入ると、「トレンディ御三家」と呼ばれた吉田栄作・加勢大周・織田裕二らファッションリーダーの登場により、ツーブロックカットのストレートヘア、ストレートジーンズに白いTシャツやブレザーを合わせるなどの清潔感を意識した「アメカジ」ファッションが流行し、アイドルが髪にパーマをかけなくなり、スリムジーンズが時代遅れになっていった。一方地方の田舎では、ヤンキーの独特の文化が続いており、髪を金髪に染める、眉毛を抜く、ガンを付ける、深夜にたむろする、タバコを吸う、授業をサボる、問題を起こして停学や退学を食らう、派手な化粧、煌びやかな服装、サングラスなど強面に見せて突っ張って、反抗心を絶やさず近づけさせないなどの態度で、思春期から成人にかけての青春時代を送ったヤンキーは各地で継承されている。 バブル崩壊から1990年代末にかけての流行の中で、ボンタン、ドカン、リーゼントなどのクラシックヤンキースタイルが完全に時代遅れとなった。アメカジ=渋カジの流行の中で、以前にはなかったスタイルの不良集団であるチーマーが出現している。 いわゆる「渋カジ」の中心はカレッジスタイルであったが、チーマーたちはネイティブ系やバイカー系、ミリタリー系、ワーク系などより男性的な雰囲気をもつスタイルにシフトしていき、それらのテイストを取り入れたストリートファッションも生み出された。 カジュアルスタイルの不良では、一般人とファッションで差別化するのが難しく、ヤンキーの自己顕示欲を満たすことができない。そのため、2000年代には、アメリカの低所得者層の不良子弟(ギャングスター)のそれに似た様式が日本に流入し、カラーギャングの流行とも呼応して、いわゆるヒップホップ系ファッションをしたヤンキー「ヒップホップヤンキー」が誕生した。 カール・カナイのジャージを着るのがヒップホップ系の愛好家たちの間で流行していたが、2000年代に入るとより多くのヤンキーの間でガルフィーのジャージが流行した。 ヒップホップヤンキーの典型的なスタイルは、オーバーサイズのジャージやジーンズなどのボトムのウェストを股下までずり下げ着用する「腰履き」が主流である。
ヤンキースタイルの変遷
ヒップホップヤンキー