ヤマト運輸
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近年では、当社の旧法人時代から、郵便局(現:日本郵便)の「ゆうパック」を新たに導入することを検討していた株式会社ローソンと、従来通りの排他的契約を求めるヤマトとが騒動に発展。ヤマト側は譲らず、郵政民営化論を巻き込み、公平性に欠けているとの意見広告を展開した[2][3]。ローソン本部は宅配取次契約の中途解約を通告[2]。ヤマトは私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)違反で日本郵政公社を提訴し対立を深め[3]最高裁まで争ったが、ヤマトの敗訴に終わった[4](詳細はローソン・ゆうパックの記事を参照のこと)。

2007年平成19年)頃までの数年間、二代目社長・小倉昌男の死去による御曹司・小倉康嗣の処遇を巡る派閥抗争が続いた。2005年の持株会社への移行の際の社長人事が焦点となっていたが、康嗣は同年9月1日付で専務執行役員から社長付に、経営学修士号取得のための海外留学を名目に異動。次期社長と目された47歳の経営幹部が20代のビジネスマンが取得するような資格を目指して社業を離れるということは、「留学に名を借りた御曹司の追放」と業界内では目された[5][6]
社訓

1931年(昭和6年)12月制定 創業者:小倉康臣一、ヤマトは我なり[注 1]一、運送行為は委託者の意思の延長と知るべし一、思想を堅実に礼節を重んずべし
経営理念ヤマトグループは、社会的インフラとしての宅急便ネットワークの高度化、より便利で快適な生活関連サービスの創造、革新的な物流システムの開発を通じて、豊かな社会の実現に貢献します。
誓いの言葉お客様との約束は必ず守ります。お客様には明るく元気に挨拶します。お客様の荷物は基本ルールを守り責任をもってお届けします。お客様に信頼される情報入力を実行します。思いやりのある運転を実行します。
愛称・ブランドマークの由来「ヤマトホールディングス#沿革」も参照

ブランドマーク(企業シンボルマーク)の親子猫マークは、1957年(昭和32年)、当時のアメリカのAllied Van Lines(アライド・ヴァンラインズ)社のマスコット・マークを見て共鳴した小倉初代社長が同社に許可を得て、当時のヤマト運輸広報担当者がデザインを担当したが、その担当者の長女(当時6歳)がそれをモチーフに画用紙に書いた絵を原案としたという[7]。その画用紙の表には親猫と二匹の子猫の絵、裏には子猫を口元に咥えた親猫が描かれており、後者をもとにデザインされた。また黒猫マークが完成された後もその画用紙は担当者の机の引き出しに保管していたが、担当者が1966年に急逝した際にその画用紙は他の宣伝資料と共に群馬県内の倉庫の一角に移された。

2019年にヤマト運輸が創業100周年を迎えることから社史編纂の準備の為、資料等を探すべく群馬県の倉庫を整理していたところ、この原案となった画用紙が発見された[7][8][9][注 2]

2021年令和3年)3月1日、クロネコマークのデザインを64年ぶりに刷新することを発表。加えて「アドバンスマーク」の新設、コーポレートカラーと社名ロゴタイプの変更も発表された[10]。いずれも同年4月1日より使用を開始。配送用の車両はこれまでのクリーム色と青緑色のツートーンから、白地(もしくはアルミ無塗装地)に黄色のアクセントカラーが入ったものになる[11]。ただし、ロゴマーク変更後も当面は、ツートンカラー車とアクセントカラー車が混在する。
その他

法律により信書便は配送できない。荷物の中に
信書(手紙)を入れて送ることは民間事業者による信書の送達に関する法律(信書便法)に違反する。荷物の中に封書を入れて送る利用者の荷物を、それが入っているのを知りながら配達を行った場合には、配達業者のみならず利用者も郵便法違反となり罰せられる(ただし、荷物に付随する無封の添え状の同封については、信書に当たらないと現在では解釈されており、信書を送ることが禁止されている「ゆうパック」においても認められている)。そのため、荷物の内容によっては、引き受けを拒否される場合がある。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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