乳首は基本的に2個[11]であるが、ヤギの品種によってばらつきがありボア種ヤギ(英語版)になると8個持つ[12][13]。
ヤギは2倍体で、染色体数は2n=60である[14]。 平均10‐15歳とされる[15]。 一般的にヤギは紙を食べるというイメージが強いが、ヤギが食べても問題のない紙はコウゾやミツマタを原料にした伝統和紙である。現代の日本文化にこのような和紙が登場することは極めて稀で、製造工程において有害な薬品が添加される洋紙はヤギの胃では消化できず、食べると腸閉塞を起こして死に至るため、決して与えてはならない。 ヤギは家畜として大昔から飼育され、用途により乳用種
寿命
紙食について
ギャラリー
ヤギの目
ヤギの骨格
首にある肉垂
序列を決める戦い。
家畜としてのヤギ
ユーラシア内陸部の遊牧民にとっては、ヒツジ、ウシ、ウマ、ラクダとともに5種の家畜(五畜)のひとつであり、特にヒツジと比べると乾燥に強いため、西アジアの乾燥地帯では重要な家畜であり、その毛がテントの布地などに使われる。
ヤギの乳質はウシに近く、乳量はヒツジよりも多い。明治以降、日本でも数多くのヤギが飼われ、「貧農の乳牛」とも呼ばれたが、高度経済成長期を境として減少傾向にある。しかし、近年ではヤギの愛らしさ、粗放的飼育に耐えうる点等が再評価されつつある。これを受けて、ヤギ愛好者・生産者・研究者が一堂に会する「全国山羊サミット」[16]が年に1回、日本国内で毎年開催場所を変えて開催されており、年々盛況になっている。 ヤギは新石器時代の紀元前7千年ごろの西アジアの遺跡から遺骨が出土しており、家畜利用が始まったのはその頃と考えられている。したがって、ヤギの家畜化はイヌに次いで古いと考えられる。しかしながら、野生種と家畜種の区別が難しく、その起源については確定的ではない。またパサン(ベゾアール)が家畜化されたと考えられているが、ヤギ属他種との種間雑種に由来する説もある。 したがって、初めて搾乳が行われた動物はヤギと考えられ、チーズやバターなどの乳製品も、ヤギの乳から発明された。乳用のほか、肉用としても利用され、皮や毛も利用される。群れを作って移動するヤギは、遊牧民の生活にも都合が良く、肉や毛皮、乳を得ることを目的として、家畜化された結果、分布域を広げていったと考えられる。一方、農耕文明においては飼育されていたものの遊牧民ほどは重宝しなくなった。ヤギは農耕そのものには役に立たず、ヒツジの方が肉や毛皮が良質であり、また、新たに家畜化されたウシの方が乳が多く農作業に適していたからである。ただし、現在でも多くの品種のヤギが飼育されている。 宗教上ウシやブタを利用しない文化においても、重要な家畜とされる。子ヤギ(キッド)の革は脂肪分が少なく、現代でも靴や手袋を作るのに用いられるが、西洋では12世紀以降、4-6週の子ヤギの革が、羊皮紙の原料としてヒツジ革と競合した。 日本の在来種については、15世紀頃に東南アジアから持ち込まれた小型山羊が起源とされる。また、ヤギは粗食に耐えることから、18 - 19世紀の遠洋航海者が重宝して船に乗せ、ニュージーランドやオーストラリア、ハワイなどに持ち込んだ経緯がある。ペリー艦隊も小笠原諸島などにヤギを持ち込んでいる。日本ザーネン種については明治以降に欧米より輸入された。1775-1776年に蘭館医師として日本に滞在したスウェーデン人カール・ツンベルク(トゥーンベリ)は、「彼らはヒツジもヤギも持っていない」と記している。ただし琉球王国や九州では、既に家畜化されていたようである。また、後述のシバヤギは、キリシタン部落と呼ばれた集落で飼われ、隠れキリシタンの貴重な食料源となっていたとされる。ヤギ属の生息域分布を示す図。黄土色が家畜ヤギの祖先種である C. aegagrus。 ヤギの家畜化の歴史は、ヒツジの家畜化の歴史と同じくらいに古く、(2007年時点における)ほとんどの考古学者が、前9千年紀半ば(PPNB前期
家畜化の歴史
なお、ヤギ家畜化の中心地については、タウルス山脈南麓説のほかには、中心地が複数にあったとする説もあり、具体的には家畜ヤギの祖先種である野生のヤギ(Capra aegagrus)の生息域であるザグロス山脈西部が挙げられている[17]。しかしながら、在地の Capra aegagrus が分布しているコーカサスですら、タウルス山脈南麓かザグロス山脈西部で家畜化された家畜ヤギが前8千年紀に人為的に移入されたことが、分子生物学的手法に基づく研究により示されている[18]。また、20世紀後半時点では、考古時代のイラン高原におけるヤギ飼育については組織的な研究がなされていない現状がある[19]。
西アジア各地の遺跡から出土した、古代の人類がゴミとして捨てたヤギの骨の調査に基づくと、ヤギ肉の消費量は、PPNB後期初頭(前7,500?前7,300年頃)までは、家畜ヤギより野生ヤギの方が多かった[17]。それでもヤギの家畜化は進展し、PPNB後期末(前7,000年頃)になると、本来は野生ヤギのいなかった地域にまで、東西は地中海沿岸からザグロス山脈まで、南北はタウルス山脈からネゲヴ地方まで広がる西アジアに広がった[17]。
イラン高原では、前7,000年頃にヤギを組織的に繁殖させていた痕跡を示す遺跡が非常に多く見つかっている[19]。ユーラシア大陸の東半分への、イラン高原からの家畜ヤギの拡散ルートは、シルクロード経由で北アジア、モンゴル高原へいたるルートと、ハイバル峠経由でインド亜大陸へいたるルートの2ルートがあったとする説が一般的である[20]。西アジアを除くアジア各地の在来種(近代以後に移入された品種ではない種)は、遺伝距離(英語版)に基づいてモンゴルのグループ、その他の東アジアのクラスタ、南・東南アジアのグループの3系統に分けることができ、遺伝的多様性も内陸部から沿岸・島嶼部へ行くにしたがって失われていく傾向が見られ、通説は分子生物学的観点とも矛盾しない[20][21]。
利用山羊刺し。奄美大島の山羊汁。山羊の乳しぼり。
ヤギ肉詳細は「ヤギ肉」を参照
ヤギ肉は、牧畜を行う地域ではおおむねポピュラーな食肉で、羊肉と区別されずラム・マトンとして利用されることも多い。東南アジアでは煮込み(山羊汁)が普通で、ローストなどは一部特殊種類の山羊だけに見られる調理法である。南アジアではカレーに使われる。ベトナムでは薄切りにして炒め物にしたり、焼肉にしたり、鍋料理にされる。中華人民共和国では、雲南省、広西チワン族自治区などで一般的で、毛が黒い「黒山羊」を鍋料理やスープにすることが多い。台湾では元代から飼育の記録があり、屋台や専門店で出されている薬膳羊肉という煮込み料理に黒山羊などの肉を使う店もある。地中海沿岸でも骨を煮てスープを取ることが行われる。